2017年03月31日

「民主主義の再起動」

1「民主主義の再起動」


「民主主義の再起動」、これはフランスの歴史学者エマニュエル・トッド氏が現下の欧米の動きを語った言葉ですが、ポピュリズムの正体をこれほど簡潔に核心をついて表現しうるのかと、心震えるような思いに襲われています。319日と20日の西日本新聞に「ポピュリズムの正体」と題して掲載された、インタビュー形式による上下2回の連載記事の一つですが、19日には同じフランスの地理学者だというクリストフ・ギリュイ氏の「断層を広げた多文化社会」という、こちらもポピュリズムの正体の核心をついた論評談話が掲載されています。


いずれの記事も共同通信による配信記事のようなので他紙にも掲載されているかもしれませんが、両氏のような、時流におもねることなく、時流の深層に潜む問題をこれほど核心的に分析しうる学者は、日本にはいないのではないか。少なくともマスコミに登場するような学者の中にはいないと断言します。


トランプ大統領の誕生、英のEU離脱、移民排斥を訴える右派の伸張など、昨今顕著になった欧米の動きに対して、その内実についてはほとんど触れず、「ポピュリズム(大衆迎合主義)」の一語で非難し去ることが言論の正当性の証明であるかのような風潮が日本や欧米を覆っています。そうした中、世界的にもその名を知られたエマニュエル・トッド氏が、マスコミや識者にポピュリズムと非難されている現下の事態を「民主主義の再起動」、「民主主義のよみがえり」だと指摘したことは、驚きであると同時に我々に勇気を与えてくれたとさえ感じます。


クリストフ・ギリュイ氏は初めて目にするお名前ですが、大衆層の地理的分布から、欧州諸国には共通する社会的断層の存在することを統計的に明らかにし、グローバル化、多文化社会がもたらしたひずみの大きさに警鐘を鳴らしています。そして両氏はともに、現実を直視せよと訴えています。現実を直視するならば、ポピュリズム批判というパターン化した非知性的な怠惰な批判などできなくなるはずです。


日本では地理学者がその専門的知見をもとに社会問題について発言することなどはまず考えられませんが、それよりも何よりも、日本では国公立大学からは文学部が追放され、地理学科も歴史学科も単独の部門としては、国策として国公立大学からは消滅させられています。九大は改変時文学部を廃止しましたが、数年後文学部という名称は復活させたものの、中身は消滅されたまま。その上、文系学部には文部官僚を中心とした官僚が大量(60人前後も?)に大学に天下りし、学術研究の質が低下する一方です。


韓流ドラマを使った韓国史の講義や韓流レクチャーが大学の正規の授業にまでなっています。韓流の達人と呼ばれているディスクジョッキーを本業としている人物が、複数の私大で韓流エンターテインメントについて教えていることをつい最近知ったばかりでショックを受けています。韓国研究所までは設置していない大学にも韓流は広く浸透しているわけですが、日本の大学では、韓流ファンをせっせと育成してあげているわけです。旧来の学問体系を破壊し、目先の変わった事業や授業に予算を配分するという、愚かな文部行政の産物です。


本号のテーマからはそれてしまいそうなので元に戻しますが、トランプ大統領に関していえば、ほとんど知性の感じられないその粗暴な言動ばかりが目につきますが、アメリカではIT企業を支える人材を移民に依存していることが、トランプ大統領の移民入国禁止策で初めて明らかになりました。これまでも同趣旨の事情についてはしばしば報じられてきましたが、その人材はIT企業を起業したり、IT企業の中核を支える少数のエリートであるかのような印象を与えるものでした。少なくともわたしはそう理解していました。


IT発祥の地であり、その総本山でもあるアメリカでは、IT企業を支える基本的な人材は当然のことながらアメリカ国民であり、基本的人材まで移民に依存せざるをえないほどにIT人材が不足しているとは夢にも考えませんでした。しかし基本的な人材まで移民に頼らざるをえない状況にあることが、移民入国禁止策で暴露されました。わたしは当初、アメリカのIT企業がこぞってトランプ大統領の移民禁止策に反対しているのは、理念的なものに発しているとばかり思っていましたが、そうではなく、人材確保という現実的かつ切実な必要性から出たものであることを知り、アメリカの抱える病巣の深さに愕然といたしました。


わたしはトランプ大統領の誕生を受けて、葦の葉通信21号「アメリカ国民は消耗品」を発信しましたが、この時点では、IT関連産業は、製造業に代わる新産業というよりも、その技術的特性から製造業の上位にすら君臨する新万能産業であり、アメリカ人の若者はもとより、製造業で職を失った労働者層のIT産業への移行策が取られており、アメリカのIT産業の基本はアメリカ人労働者によって支えられているものとばかり思っていました。アメリカはIT技術の生みの親であるばかりか、今現在も世界のIT産業の王者であり、当然のことながら、アメリカ国民に対するIT教育や職業訓練などが日常的に行われているとばかり思っていました。しかしどうもそうではないという事実が明らかになりました。


必要な人材は手っ取り早く移民や海外の優秀な頭脳に依存するという政策が、アメリカの基幹産業であるIT産業にまで及んでいたことが分かりました。職を失い貧困にあえいでいる白人労働者たちには再教育の機会も与えぬまま放置し、手っ取り早く移民や海外の人材に依存するという効率第一主義の政策が、トランプ大統領の誕生を招いたことは明らかです。他国を非難するよりもまず、効率第一主義を国是とするようなアメリカの伝統的な政策が、自らの支持層である貧しい白人労働者を生み出したという事実を、トランプ大統領はとくと考えるべきではないかと思います。


貿易赤字の元凶である中国や日本やドイツを批判し、日本に対してはアメリカ車の輸入割当で貿易格差を解消しようとするのは、商売の道理に反するばかりではなく、アメリカの技術革新意欲を破壊するものでしかないはずです。資本主義経済の最大の特性、利点は、商品を売るためには企業は絶えざるイノベーションを追及せざるをえないという点にあります。トランプ大統領は国家管理のもとで、恫喝的手法を駆使してアメリカ製品を売ろうと考えているのでしょうか。もしそうであるならば、アメリカ製品のさらなる質の低下を招く結果になるだけでしょう。


トランプ大統領の最大の特徴は、その手法はともあれ、自国民の雇用確保に政治家としての命を懸けていることです。これほど自国民の雇用確保を政策の最大課題に掲げている国家の首長は、世界の近代政治史上、他に例はないのではないか。ただその手法が非常に短絡的であるところに問題があります。アメリカでも日本でも最大の製造業は自動車産業ですが、大統領の言いなりにならないからといって、仮に日本の自動車メーカーをアメリカから叩き出したとしても、アメリカの自動車メーカーだけでは雇用一つとってみても、その穴を埋めることは不可能です。トランプ大統領も脅しで言っているだけで実際にはこんな愚かなことはしないとは思われますが、仮に脅しだとしても、アメリカ経済にとってはマイナスでしかないはずです。


トランプ大統領が移民入国禁止策を進める中で、ITなどの高度な技術をもった人材に特例的に認められていた入国許可まで停止しましたが、これはIT業界の猛反発を招きました。猛反発は当然です。トランプ大統領はIT企業に対しても、移民ではなくアメリカ人を雇用せよと要求していましたが、大統領のなすべきは、IT企業の戦力となりうるような人材育成に着手することではないかと思います。


もしも大統領が、IT企業の大半は、民主党、クリントン陣営の支持者なので政治的な反発からIT企業つぶしに動いたのであれば、アメリカ最強の産業にダメージを与えることになり、元も子もない状態になりかねません。大統領の嫌がらせぐらいでつぶれるほどやわな企業は皆無だとは思いますが、大統領(国の首長)が私的感情で政策を進めるならば、その国は衰退を免れず、それこそ元も子もない結果を招くだけでしょう。


雇用確保は、日本や他国の企業を叩いて実現できるものではありません。例えば貧困にあえぐアメリカ人労働者にも、新産業の担い手となりえるような再教育の機会を与え、日本やドイツや中国企業と競争しうるような基盤を構築することで、雇用の機会を創出することです。それこそが、大統領や政治家の仕事ではないでしょうか。その際、自由な競争こそが、資本主義経済が要請するイノベーションを可能にする環境であることも強調しておきたい。


ただ自由な競争とは、グローバリズムと同義語ではないことも強調しておきたい。エマニュエル・トッド氏は、保護主義と自給自足経済とは別物であり、「国内市場を守りつつ必要な貿易を行う保護主義貿易への移行は、国家間交渉で可能だ」とも指摘しています。またトッド氏は、ギリシャは「自由貿易の極点となった」EUの植民地だとまで語っています。ギリシャはEUの植民地であるとは、ギョッとするほどに凄まじい表現ですが、日本からは地理的に離れている上に、日本のマスコミの大半が、グローバル化の典型的モデルであるEUのマイナス面についてはほとんど報道しないという事情もあり、「ギリシャはEUの植民地だ」という一文の衝撃度は非常に大きい。しかしEUの植民地はギリシャだけではなさそうです。さらにトッド氏は、「フランスの有権者も大統領が何ら権力を持たず、国を導くのは(EUの盟主)ドイツであることを無意識に承知している」と続けているからです。フランスですらこうですから、あとは推して知るべし。


しかしにもかかわらず、EUの植民地から独立しようという国々は出てきそうでなかなか出ない。イギリスが初めてですが、その衝撃は今なお尾を引いています。なぜなのか。エマニュエル・トッド氏によれば、ポピュリズムと呼ばれる事態の背景には教育格差があり、高学歴者はグローバリズムの恩恵を受けているが、低学歴者は閉塞的状況に追いやられていると指摘しています。高学歴者がすべてグローバリズムの恩恵を受けているわけではなく、グローバル企業などに就職することができた一部の高学歴者のみが恩恵を受けており、大卒者はもとより大学院卒者でも、「プアホワイト」的な生活を余儀なくされている人々が存在するというのが、日本の状況からも推測しうる現実ではないかと思います。


トッド氏は、先進国では高学歴者が大集団になったと指摘していますが、この指摘の意味するところは重要です。なぜなら、グローバリズムがもたらした格差問題は、世界的に喧伝されているような1%の超富裕層と残り99%の対立ではなく、高学歴層を基盤にしたあるボリュームをもったエリート層と貧困層の対立だということです。1%と99%の対立では社会の維持は不可能ですが、1%の超富裕層を含めた高学歴層を基盤にしたエリート層(国よって異なりますが、30%前後ぐらい?)がグローバルリズムの恩恵を受け、その流れを支持してきた結果、EUを含めたグローバル経済は今日まで維持されてきたわけですが、この流れから排除されてきた人々の我慢の限界が極点に達したというのが、今現在の状況だと思われます。


トッド氏もギリュイ氏も、トランプ大統領やフランスのルペン氏率いる極右政党FNは支持しないとしつつも、知識人やエリート層(グローバリストと呼びたい人々)の視野にも入ることのなかったモノ言わぬ大衆の下した診断には真剣に耳を傾けるべきだと訴えています。トランプ大統領は、政治家はもとより、知識人やマスコミからも見捨てられてきた貧困にあえぐ白人労働者たちに目を向けた初めての大統領候補であり、その支持を受けて大統領になった初めての人物(政治家と言いたいところですが、そうではないところもユニークといえばユニーク)ではないかと思われます。しかしその政策は、繰り返しになりますが、きわめて近視眼的です。


トランプ大統領は、雇用確保のためだとして環境規制を緩和しました。共和党の伝統的政策なのか、元ブッシュ大統領も同様の政策を実施しましたが、これはむしろ雇用削減策ではないか。雇用増にはアメリカ国外でも売れるような高品質の製品開発は不可欠ですが、トランプ氏は逆にmade in Americaは低品質を目指せと言っているようなものです。石油やガソリンをどんどん消費して、燃費の悪い、環境に負荷をかけるようなアメリカ製品をいったい誰が買うでしょうか。同様の政策を実施した元ブッシュ大統領下では、技術革新を怠った、ガソリンがぶ飲みのアメリカ車は、アメリカ国外では全く売れない状態が続きました。反省もなく、同じような政策を実施しようとするトランプ大統領は、貿易黒字国の日本などに、政治的恫喝力を使ってむりやり買わせようと考えているのでしょうか。そこまですると、いくらおとなしい日本でも反乱が起こるはずです。


この規制緩和に対してアメリカ国内では、石油業界への優遇策だとの批判も出ていますが、元ブッシュ大統領の前例からしても、おそらくその批判は当たっているのだろうと思います。しかし世界中で自然エネルギーの普及が進みつつある現在、石油業界もこうした世界的な潮流を無視しては業界の発展はもとより、存続すらも難しくなるはずです。石油といえども、自然エネルギーに対抗しうる環境負荷を低減しうるような石油製品の開発を目指すべきであり、アメリカ政府をはじめ各国政府は、そうした技術革新への意欲を惹起するような政策を立てるべきではないか。それが難しければ、石油業界の業態転換を促すべきではないですか。日本の石油業界では石油やガソリン需要の減少からか、石油一辺倒からの脱却をさまざまに試みていますが、旧態依然を奨励するようなトランプ大統領の政策は、アメリカ企業にとってもアメリカ国民にとってもマイナスでしかないはずです。


とはいえ、自国民の高い失業率を放置したまま、移民受け入れに狂奔するEU諸国や世界各国の首長たちは、国内外の猛烈なパッシングを受けながらも、自国の失業者や貧困層のために必死で雇用を確保しようとしているトランプ大統領の精神だけは見習うべきではないか。自国の失業者を放置したまま移民を受け入れるよりも、自国の失業者に雇用を確保することの方がはるかに難しい。トランプ大統領はあえてその困難な課題に突進しているわけですが、短絡的、近視眼的な手法では、その課題克服も困難です。ポピュリズムという言葉は大衆蔑視と同義語だともいえそうですが、大衆を蔑視するグローバリストの視点からトランプ大統領の登場や英国のEU離脱問題を見るのではなく、「民主主義の再起動」という視点から事態を検証し直すならば、今後の世界の向かうべき方向も見えてくるかもしれません。



2 韓国の民主主義


隣の韓国では、弾劾、罷免を要求する国民の直接行動を契機に、朴大統領が罷免されました。こうした事態を韓国の民主主義の勝利だと評価する声が韓国内外にもありますが、はたしてそうなのか。


朴大統領の弾劾、罷免の理由は多数列記されているようですが、もっとも驚愕させられたのは、朴・崔側に渡された企業からからの贈賄金額の巨額さです。判明しているだけでも、企業連合による献金が774億ウォン(77億円)!!!日本と韓国の貨幣価値の違いを踏まえれば、日本では実質的には100億円前後ぐらいの額になるのではないかと思われます。日本でも政治家や官僚絡みの贈収賄事件は跡を絶ちませんが、100億円はもとより、額面の77億円にしても、日本ではありえない金額です。しかも驚くべきことには、サムスンはこれとは別に、実際に支払い済みの298億ウォン(30億円)を含めて430億ウォン(43億円)の拠出を約束していました。我々日本人からすると、サムスン一社が支払い済みの30億円だけでも、我々日本人からすると、一人の政治家の絡む贈収賄事件の金額としては、この世ではありえぬほどの天文学的な巨額さです。これほど超巨額な贈収賄は、日本ではもとより、おそらく世界でも他に例はないはずです。韓国の経済規模、国家予算の規模からすると、韓国内におけるこの贈収賄金額の巨大さは、日本で考える規模とは比較にならないほどに超巨額で、超異常な額であると断定いたします。



サムスン側提供の43億円は約束分も含めた額で、拠出済み額は30億円らしいですが、この収賄事件の実態を検証するには、サムスン側が朴氏に総額で43億円を支払うことを前提にしてなされたという、この事実を基にすべきであることは言うまでもありません。偶然なのかどうか、本号公開後の西日本新聞では、それまでは、サムスンの拠出額は「約束分も含めて430億ウォン(43億円)」と表記していたものを、「サムスンが実際に支払った298億円(30億円)」のみを表記する方針に変更していますので、あきれ果てながら追記をしました。(4/1)



しかしなぜか、この超巨額な金額に着目した論評は未だ目にしたことはありません。ではなぜこの金額が問題なのかといえば、この巨額な金額は、サムスンのような大企業も含めて、本来ならば民間企業では拠出不能なほどの超巨額な金額であるということです。拠出不能の理由としては、韓国の企業会計が法的透明性と公正さの枠内で実行されているならば、(1)政治家への献金も会計資料として公開され、株主の可否の対象になるはずである。(2)仮に巨額の献金が株主等関係者の了解を得たとしたならば、当然のことながら、その巨額な献金に見合う利益(見返り)のあることが前提となっていることは言うまでもない。(3)この超巨額な献金を民間企業に求めて実行させるには、それに見合うだけの見返りを与える必要があるが、一民間人には実行不可能であることは言うまでもない。政治家でも、ただの国会議員では不可能です。絶大な権力を持つ大統領にして初めて可能な巨大さです。


日本の企業会計は不透明だと欧米からしばしば批判されますが、韓国の企業会計の不透明さは日本とは異次元のものだというべきでしょう。企業側から、天文学的規模の超巨額な金額が大統領とその関係者に渡っているからです。正常な企業活動からするならば、この献金額はありえぬ巨額さであり、法的ルールなしに、企業と政治が完全に密着していることを物語っています。企業家も企業を私物化し、大統領も政治を私物化しているということです。政治の私物化は李朝時代からつづく韓国の伝統的な病です。政治の私物化は、おそらく李朝以前からつづいると思われます。企業は日本の植民地化(日韓併合)で初めて誕生しましたが、李朝では、日韓併合までは李王家の財布と李朝政府の財布が同じであったという。日韓併合に踏み切った明治政府は、李朝では政府の会計も王家の会計も同じで分離されていないことに驚き、すぐさま李朝会計の公私の分離を実行したという。


しかし日本の介入、教化によって形式的には公私の分離はできても、韓国人の体に染みついている公の私物化思想は簡単には払拭されず、今なお韓国人の宿痾(シュクア・・・治癒不能な病気)となっています。それが企業や政治の私物化を生みつづけ、朴大統領を含む、歴代大統領とその一族による贈収賄事件の連鎖の源となっています。この宿痾を断ち切るためには、朴大統領の罷免に至った罪を徹底的に裁くと同時に、企業、政治の私物化の淵源となっている韓国の歴史の暗部を隠蔽せず、美化せずに直視することです。それ以外に韓国社会の再生はありえぬはずです。

  

朴大統領の罷免決定をめぐる騒乱では、3人の死者が出ました。いずれも朴支持者で、抗議のために警察車輌を奪ったことで発生した事故によるものでした。しかし当時まだ大統領官邸に居住していた朴氏は、この事故に対しても、3人の死者に対しても一言も言葉は発していません。さらにその二日後に官邸を退去する際にも、朴氏は自分の無実はいずれ明らかになるだろうという文書によるコメントを発表しただけで、3人の犠牲者に対しては一言も触れることさえしていません。それどころか、支持者に向かって笑顔で手をふる写真が公開されていました。朴氏は、自分のために、3人もの犠牲者が出たことに対しては、申し訳ないという気持ちはかけらも持ち合わせていないようです。3人の犠牲者などなかったかのような朴氏のふるまいは、わたしにはまったく理解不能です。この朴氏の冷酷さに違和感すら感じていならしい韓国民はさらに理解不能です。韓国では、権力者のためには民衆が命を落とすことは当然だと考えられているとしか思われません。


この感想を補強するような事態が続きました。朴氏が官邸から出た後、やっとセォル号の引き上げが実施されました。日本では東日本の犠牲者捜索は6年経っても続けられていますが、韓国では3年も放置されてきました。しかも作業開始1日で、船は引き上げられました。その気になればすぐにも引き上げられたのに、なぜ放置し続けたのか。事故後すぐにも引き上げたならば、犠牲者の遺体も見つけることができたでしょうし、船の内外の状況から事故の原因を解明することができたはずですが、朴大統領には犠牲者の救出も真の事故原因の解明もする気はなかったということです。3年も放置してきたことがそれを証明しています。


ではなぜ突如、セォル号の引き上げが実施されたのか。実はこの引き揚げ作業は中国企業が請け負ったという。中国企業がこの引き揚げ作業を請け負ったことは、繰り返し関連記事を掲載していた西日本新聞には一言も書かれていませんが、産経新聞のweb版に出ていました。巨大なタンカーならともかく、韓国には旅客船すら自前で引き上げる能力はないのかと驚きましたが、入札でもっとも安かったので中国企業に依頼したとのこと。引き上げ時期からするならば、THAAD配備以降、中国で始まった激しい韓国パッシングを少しでもやわらげたいとの思惑から実施したのではないか。加えて、政権与党への国民の非難も少しはやわらげたいとの思いと、セォル号引き上げという劇的なパフォーマンスで朴氏に集中している国内外の関心をそらしたいとの思惑もあったものと思われます。いずれにせよ朴氏には、犠牲者を悼む気持ちは微塵、毛頭ないということです。今回の3人の犠牲者に対しても全く同様です。


朴氏をめぐる一連の事態は、韓国では国民は政治の目的ではなく、単なる手段にしかすぎないということをまざまざと見せつけてくれましたが、これも韓国では古代から続く歴史的伝統です。朴氏も自分は何一つ悪いことをしていないと心底思っているはずです。韓国では、権力者が自らの利益を最大化するために動くことは悪ではなく、当然であるというメンタルティが連綿と受け継がれてきているからです。このメンタルティにメスを入れ、剔出(テキシュツ)、抉り出すことなしには、韓国の民主主義は実質を持つことはないのではないか。「民主主義の再起動」以前の状態にあるというのが、韓国の偽らざる現実ではないかと思います。



3 東芝と日本の民主主義


そういう日本はどうなのかという反問がきそうですが、日本の民主主義の再起動は、戦前の反動から生まれた日本人による日本人に対する反日洗脳装置との闘いなしには達成不可能だと思います。この反日洗脳装置とは偏向報道を旨とするマスコミが代表格ですが、韓国や中国の執拗な反日工作と、それを放置しつづけてきた日本の歴代政権と外務省の無能さの結果、今や世界大にまで拡大しています。世界大化した反日洗脳にさらされ続けると、当然のことながら、日本人としてのプライドは持てなくなりますが、日本人が自らを卑下することが美徳であるかのような状況下では、日本国民にとっての民主主義は機能しません。


目下、東芝が子会社であるアメリカのWH社の異常なまでの不良債権化を受けて苦境に立たされていますが、この問題の背後にも日本人としてのプライド喪失が潜んでいます。もちろんプライドの問題以前に、こんな不良債権の塊のような会社を買収したばかりか、後々までも親会社として責任を負わざるをえないような条件付きの契約までしたという、東芝経営陣の愚かな無能さがまず批判されるべきですが、プライド問題はその責任を厳しく問うた上でのことであることをお断りしておきます。


WH社は東芝の子会社とは名ばかりで、親会社である東芝を無視して、勝手放題をしていたという。しかも東芝本社からはその筋では有名であったらしい日本人幹部がWH社のトップに送り込まれていたにもかかわらず、その日本人社長も、東芝本社もWH社のアメリカ人幹部の勝手放題を止めることも叱責することすらしなかった、できなかったという。これは、経済専門誌のWEB版にアメリカ現地で取材した記者のレポートとして公開されていたものですが、一般紙には報道されていないはずです。この無残さは、日本人としてのプライド喪失の無残さそのものを象徴的に物語っています。アメリカ人は巨額な借金だけを日本企業に押し付けて平然としています。アメリカ人は、日本人や日本に対しては、それがまかりとおると考えているわけですが、日本人はそういう屈辱に対しても憤ることを忘れています。少なくとも東芝の経営陣は、アメリカ人からそこまで見下されていたということですが、東芝はそれを屈辱とは感じていなかったのではないか。日本のマスコミでも、WH社のアメリカ人経営者の無能ぶり、無責任ぶりを批判したところは皆無。それどころか、その事実を指摘した記事、報道も皆無です。



しかし東芝だけではありません。原発を扱うWH社は安全保障上救済すべきだという声がアメリカから聞こえてくると、政府の意向を受けたものかは不明ながら、経済革新機構がWH社の救済に動き出そうとしていました。が、結局はアメリカで民事再生を申請することになったようです。アメリカ人の無能で無責任な経営者が作った巨額借金は、アメリカ人幹部に責任をとらせるべきではないか。こんなアメリカ企業に騙された東芝本社の経営陣も自らの無能さを恥じるべきです。無能さの塊のようなWH社の再生は、無能なアメリカ人幹部の責任を明らかにすることなしには全く無意味であり、また再生も不可能だと思われますが、こんな企業には、日本政府は、東芝を介した形であれ、一銭の支援もすべきではありません。


東芝の事件は、日本人が日本人としての、というよりも人間としてのプライドを完全に喪失していることを如実に示したものですが、この無残なプライド喪失状態を放置したままでは、民主主義の再起動は全く無意味であり、不可能です。日本の民主主義の再起動には、日本人が日本人を貶める反日洗脳装置との闘いなしには達成不可能だというゆえんです。この闘いは、言論の完全なる自由が保証された中でしかなしえないことも、あらためて強調しておきたい。言論も自由な競争の中でこそ、言論の質も磨かれるのではないかと思います。


posted by 久本福子 at 02:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会時評
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