2017年05月10日

諫早干拓の反公共性


昨日(5/10)、本ブログ「諫早干拓の反公共性」公開後、twitterで更新のお知らせをしたのですが、本日(5/11)twitterを確認したとろ、そのページは見当たりませんとの表示が出てきてビックリ。原因を調べたところtwitter上に表示されている「諫早干拓の反公共性」をクリックすると、本ブログとは異なったアドレスが表示されていました。見当たらないはずです。twitterからは不正ログインの連絡はきていませんので、どのようにしてアドレスが書き換えられたのは不明ですが、本ブログの正しいアドレスはashi-jp.sblo.jp/article/179701438.htmlです。次の更新までは、TOPページashi-jp.sblo.jpでも同ブログが表示されています。なお偽アドレスは削除しましたが、赤文字の数字の部分が「17901194」と書き換えられていました。(5/11)


前回、前々回のブログ更新後に、タイトルなし、本文なしの空白のままのブログが次々と更新されるという異変が発生しました。当初はその原因が分かりませんでしたが、実は、twitterを使った嫌がらせであることが判明しました。twitter(会社)から、通常ではないログインがあった旨連絡があったのですが、twitter上には盗まれるような情報もなく、さして問題も感じずにそのまま放置していました。ところが、その後、同じ連絡がtwitterから届きました。ちょうど、ブログ更新後に再び空白のブログ更新がなされていたのですが、すぐには両者が結びつきませんでした。異変が続くので問い合わせをしていたブログ運営会社から、空白のブログ更新はtwitterからなされているようだとの指摘を受け、twitterへの不正ログインが何のためになされていたのか、やっとその理由が分かりました。


パスワード変更は面倒なので、いずれも開設以来一度も変更せずにきたのですが、すぐさまパスワードを変更し、ブログとtwitterを自動的に連動させていた設定も解除しました。以降は、不正ログインも空白のブログ更新も発生していません。twitterからの連絡によると、不正ログインは2度とも福岡市博多区からなされているとのことでしたが、博多区内には知り合いはいませんので、見知らぬ誰かが嫌がらせをしていたようです。どこの誰か教えていただけないかとtwitterに問い合わせましたが、これには返信はありません。



では、本題です。4月17日、諫早湾干拓の潮受け堤防排水門開門差し止めを求めて、営農者らが国を提訴した裁判の判決が長崎地裁で出されましたが、地裁は農地に甚大な被害が出るとの理由で差し止めを命じました。この裁判の前段として、漁業者側が起こした裁判で、2010年12月、開門をkodomo-bb3s.gif命じる福岡高裁の判決が出ましたが、この判決に対して、時の菅直人総理が野党時代に反対していたことから、控訴しないことを決断、福岡高裁の判決が確定しました。翌2011年4月、営農者らが国に対して開門差し止めの訴訟を提起したものの、国は開門の必要性について全く主張せず、当然のことながら原告営農者側の全面勝利の判決となりましたが、25日、国は控訴しないことを表明し、あらためて開門しない方針を明確に示しました。


諫早湾干拓事業をめぐっては漁業、農業双方から裁判が起こされ、相反する判決が出されるという異常な事態になっていますが、時事ドットコムの諫早湾干拓訴訟をめぐる動きには、干拓事業と訴訟との関係が、工事開始から現在にまで至る時系列に沿って簡潔にまとめられています。問題は、この事業が我々国民にとって真に有益なものであるのかどうかという点にあります。この事業には巨額な税金が投入されていますが、これらの費用については朝日新聞WEB201746先見えぬ諫早干拓事業、続く税金投入 閉め切り20年に分かりやすく図表化されたものが出ていましたので、これを参照しました。


記事によりますと、同干拓事業の総額は2530億円、消えた干潟1550ヘクタール、売却額50億円。今後も発生し続ける費用は、有明海再生事業498億円(予算ベース)、調整池水質改善352億円(決算ベース)、漁業補償7億6500万円=857億6500万円ですが、この857億6500万円は、現時点での金額ですので、今後はさらに増加しつづけることになるわけです。


調整池とは、諫早湾の深奥部を潮受け堤防(ギロチン)で締め切って造られたものですが、流れを遮断しているので、池の水質汚染が昂進、常態化し、絶えず水質改善策を講じざるをえない状況です。(参照:諫早湾開門ほんとうに大丈夫なの?WWFジャパン)その調整池水質改善には長崎県も費用の一部は出しているようですが、長崎県には国からの交付金などが入っているはずですし、干拓工事完了後も、農地維持のために巨額の税金が投入されていることは紛れもない事実です。この事実は干拓事業には何ら正当性のないことを証明していますが、我々国民はもとより、農業当事者自身もこの事実を直視すべきです。本来ならば、農地維持費用は一般農業者同様に、農業者自身が負担すべきではないですか。しかしその額が巨額ゆえに、農業者自身が負担することは不可能であることから延々と税金が投入され続けているわけです。諫早湾干拓事業の現在の姿は、日本では公共事業にいかに杜撰に巨額の税金が垂れ流し的に投入されているかを象徴していますが、さらに問題なのは、この干拓事業で何が失われたのかということです。


失われたものは、いうまでもなくかつては宝の海と呼ばれていた豊饒な有明の海です。漁業被害では、ノリ養殖がその筆頭事例として挙げられますが、西日本新聞によると、有明海西部(調整池に近い海域)でのノリ養殖は、調整池から流入しつづける汚染水の影響をもろに受け、今なお壊滅的な打撃を受けているそうですが、反対側の東部でのノリ養殖は近年は豊作が続いているという。と聞けば、干拓事業の悪影響は有明海全域にまでは及んでいないのかのような印象を受けるかもしれませんが、有明の漁業はノリ養殖だけではありません。


葦書房刊の中尾勘吾写真集『有明海の漁』(1989年刊、15345+税)は、干拓事業による埋め立てが始まる前の有明海を詳細に記録した写真集です。中尾氏は長崎県在住の登山家、写真家ですが、高校の教師をしながら、干拓で消滅するかもしれない有明海を記録しておきたいとの思いから写真を撮り始め、7年かけて有明海全域を回って写真に収められ、それをまとめたのが本写真集です。しかし有明海の全貌をとらえるにはさらに時間が必要だと、中尾氏は「あとがきに」に記されています。有明海はそれほどに奥深い世界だということですが、本写真集には、有明海の漁と人々との暮らしの在りようとの、有機的につながりが重層的に映し出されており、見る者にも有明海が育んできた世界の豊饒さが十分に伝わってきます。


中尾氏は本写真集刊行のぎりぎりまで撮影を続けておられたようですので、198612月の干拓事業の工事着工時前後までの有明海の姿が記録されていることになりますが、おそらく干拓事業前の有明海の記録としては、他に類書、類例はないはずです。干拓事業による漁業被害については、干拓事業前の漁についての記録が乏しいことが、被害の証明を難しくしているとの記事が西日本新聞に出ていましたので、その意味でも本写真集の貴重さがお分かりいただけるかと思います。本写真集には、漁船上や水揚げされたばかりの、漁の現場で撮影された多種多様な魚介類の写真が収められていますので、裁判でも生の証拠となりうるものばかりです。


有明海といえば、ムツゴロウやタイラギ、シャミセンガイ、ワラスボ、アブッテカモ、エツなど有明海や潟特有の魚介類が有名ですが、こうした魚介類はもとより、一般的なタイやヒラメやカレイや車エビやタコ、イカ、スズキ、カワハギ、コノシロ、フグ、タチウオ、サワラ、ウナギ、シャコ、ハゼ、カザミ(カニ)、アサリなども獲れていたという。写真集には64種の魚介類が紹介されていますが、おそらく現在、有明海からはこうした魚介類はほとんど姿を消しているのではないか。有明海ではさらにノリ養殖のほかに、昆布やわかめの養殖もなされていることが紹介されていますが、おそらく昆布やわめの養殖は消滅させられたのではないか。干拓事業による漁業被害は、ノリ養殖だけではなく、干拓事業前には、事実として収獲されていた多種多様な魚介類の存在の有無をとおしても明らかにすべきではないか。


写真集には、干拓事業が始まる前からも、有明海の漁は様々な障害を受け、魚種によっては漁獲量が徐々に減少している状況も記録されていますが、そうした状況下でも、固有種以外にも非常に多種多様な魚介類が収獲され、漁業者の暮らしを支えていることが写真からも伝わってきます。漁によって人々の暮らしが支えられているということは、豊漁を祈り、豊漁に感謝する様々な祭りや風習、習俗等が代々受け継がれ、地域に根差す文化として人々の暮らしを豊かに彩ってきていることも、写真集は雄弁に語っています。


しかし有明海の漁が衰微した現在、こうした祭りや風習も一部では消滅させられてしまっているのではないか。とするならば、有明海沿岸で暮らす人々が受けた被害は、漁業被害だけで算出されるものではなく、それ以上の甚大なものになるはずです。この干拓事業の最大の問題は、漁業者が受けた甚大な被害が、その犠牲に耐えうる事業の結果によるものではないという点にあります。干拓事業の目的は当初予定より転々と変わり、最終的には農業用地利用に行き着きましたが、漁業を犠牲にしてまで農地のために干拓する必然性は皆無です。干拓地は当初の予定では農業者に直接売却するはずでしたが、希望者が少なく、長崎県が設置した農業公社が50億円で買い取り、農業者に貸し出すという方式になったらしい。おそらくタダ同然で貸し出しているのではないか。干拓事業のみならず、農地運用にも税金投入です。その上、調整池には半永久的に水質改善のために税金を投入せざるをえません。これほど無意味な税金の無駄使いはあるでしょうか。


調整池の水質改善も有明海の再生も、海と海に棲む生き物たちが担ってきた自然の治癒力を回復させ、その力を最大限活用する方策を探る以外には根本的な解決策はないはずです。以下は、西日本新聞の記事「有明海は今」を参照したものです。アサリなどの二枚貝は、プランクトンを食べ、きれいな海水を吐くことから海の「浄化器」と呼ばれているそうですが、中でもタイラギの浄化力は群を抜いており、有明海最大の「ろ過装置」とまで呼ばれているそうです。西海区水産研究所によれば「最盛期の年間漁獲量の3万6000トンのタイラギが生息すれば、有明海の3割に当たる湾奥部を6日間で浄化できる」という。湾奥部とは潮受け堤防で締め切った調整池のことですが、自然の治癒力のもつ凄さが伝わってきます。調整池と有明海の浄化のために、これまで850億円もの巨額の税金が投入されたものの事態は全く改善せず、今後も税金を延々と投入せざるをえないわけです。この事業がいかに正当性を欠いたものであるかを、あらためて認識せざるをえません。


こういう事業を強行してきた政治家と官僚は、この惨憺たる現実を直視するならば、のうのうと税金で生活してきたことを恥じて、この世から姿を消さざるをえなくなるはずですが、彼らには恥の意識はひとかけらもなく、今後もこの干拓地に巨額の税金を投入しつづけるつもりらしい。長崎県産の農産物が福岡にも大量に流入してきていますが、他の農業者並みに農地維持費用を自己負担していたならば、非常に高額な価格にせざるをえないはずです。開門に反対するのであれば、有明海の再生費用とまではいいませんが、少なくとも農業用地のために造られた調整池の浄化費用は農業者自身が負担すべきではありませんか。国が全ての責任を持つとの約束で入植してきたのであれば、我々国民は国に対して、不当な税金浪費の差し止め請求並びに損害賠償請求をすべきではないかと思います。


膨れ上がる一方の日本の負債は、増大しつづける社会保障費が大きく影響しているとはいえ、公共事業の垂れ流し的浪費も負債増の要因の一つのはずです。公共事業の縮減を敢行した小泉政権時代や、自公政権の公共事業重視策を批判して「モノから人へ」策を推進した民主党政権時代の、惨憺たる結果を見れば、公共事業そのものの否定は我々の生活基盤の弱体化につながることも実体験済みですが、ただ目先の経済浮揚策としてのバラまき的公共事業の横行は、生活基盤の強化にはつながらないどころか、破壊するための税金浪費にしかすぎない事例も多発します。諫早湾干拓事業はまさにその典型例です。農水産省は、昨今の逼迫する物流事情を受けて、長崎県の農業者には格別に配送の支援までしています。干拓地の農業が失敗すれば、干拓事業そのものの失敗が白日の下にさらされるのを恐れて、ここの農業者のみを格別に支援しているのでしょう。保身のためには、税金の浪費も厭わず。


東日本大震災や熊本地震災害で、公共事業は突出して増加せざるをえない事態がつづいていますが、東京五輪も加わり、公共事業はさらに増大しています。そうした中で、震災2年目を迎えた今年の4月には、熊本地震の復興事業には、入札不調事例が昨年の15倍にまで達しているという事実が明らかになりました。入札不調の大半、8割以上には、1社の応札もなかったという。安いので請け負い手がいなかったわけですが、その一方で、干拓事業には垂れ流し的に税金が投入されつづけている理不尽さ。さらに加えて、大阪府が万博開催に名乗りを挙げ、政府も全面的に協力する姿勢を表明しています。もしも大阪府で万博開催が決まるならば、新たな公共事業が発生します。被災地に回るべき資材も人手も高騰し、復興事業は頓挫状態がつづくのではないか。


ここでNHKラジオで聞いた、公共事業に関するエピソードを紹介します。わたしの記憶にもないので、かなり昔の話だと思いますが、イギリスのロンドンで大火が発生した時の話です。被災地ロンドンの復興に際して、復興事業を優先させるために他の公共事業は3年間停止させ、カネも人も復興事業に集中的に投入して、短期のうちに見事に復興を果たしたという。以前に紹介したロンドン五輪後の施設を貧困層のための住宅に転用した話といい、ロンドン大火被害からの復興事業といい、こうした公共性は日本政治にはもっとも欠けているものではないか。


また何度か取り上げているドイツとの対比からも、日本政治の同様の欠損が見えてきます。日独は共に、敗戦国として戦後をスタートし、工業立国として世界に冠たる地位を築いてきましたが、その内実には大きな違いがあります。ドイツは冷戦終結の流れを受けて、東西ドイツ統合という、国家的規模での巨額の不良債権を抱えたものの、大学まで教育は無料、医療も無料という高度な社会保障体制を現在まで維持しつづけてきました。しかも国の借金はゼロかゼロに近い。日本との違いは余りにも大きすぎます。日独では、税金の使われ方が根本的に異なっていることは明白です。

必見!


タイ

仏の国の輝き


九国博



今の日本でドイツの真似をすることは不可能ですが、仮にドイツに倣うとしたならば、さらに巨額の負債を加速度的に増大させる結果になるだけです。今、我々がなしうることは、なぜ日独の間にはこれほどの差が生じてしまったのか、その背景を探ることだろうと思います。この差は何に起因するものなのか。日英間でも違いが明らかになった公共性に対する認識において、日独間でも根本的な違いがあったのではないか。諫早湾干拓事業という公共事業は、日本の公共事業の非公共性、というよりも反公共性を如実に象徴しています。日独は共に戦後をゼロからスタートしたにもかかわらず、日独の間にはなぜこれほどの違いが生じてしまったのか。諫早湾干拓事業は、その答えの一つになるはずです。


posted by 久本福子 at 10:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会時評
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