2017年06月15日

イコモスと国連への疑問

葦書房のサイトの葦の葉通信をご覧ください。


イコモス


 世界文化遺産の登録をめざしている宗像・沖ノ島とその関連遺産群を巡って、沖ノ島以外は対象とはしないというイコモスの勧告が、関係者に非常な衝撃を与えています。勧告の趣旨はマスコミでも報道されていますが、文化庁が発表したイコモスの評価結果を見ると、イコモスの勧告は、学術的な公正さとはほぼ無縁の、ある種の偏見に基づくものではないかとの疑念が沸き上がってきます。なぜ沖ノ島以外の遺産群が除外されたのかといえば、その理由は、沖ノ島にのみ「古代祭祀の考古学的物証」が残されており、それ以外は全て国家的なものであるからだということです。


 しかし古代祭祀の跡を残す沖ノ島の信仰そのものも、古代の日本国家によって執行されてきた国家的事業であったという、明々白々すぎる事実をイコモスの委員たちは完全に無視しています。この無視は意図的なものであることは言うまでもありません。国家的事業として執行されてきたことは、「古事記」や「日本書紀」にも明記されています。国家的事業としてなされていたからこそ、当時にあっては最高級レベルの豪華な品々が奉献されていたわけです。それらの豪華な品々は、名もない一般庶民が奉献できるはずはありませんし、一般庶民は目にしたこともなかったはずです。


 日本各地にある縄文遺跡からは、集落で宗教的儀式が行われていたことを示す遺物も多数出土していますが、189年に邪馬台国の女王に即位した卑弥呼は、祭祀により国を統治していたことが、中国の正史「魏書」(魏志倭人伝)に明確に記されています。卑弥呼は239年には魏に使いを送って朝貢し、親魏倭王の称号を受けたことも「魏書」に明記されています。


 卑弥呼に限らず、そもそも古代宗教は、日本も含めて世界中で例外なく、すべて国家的事業として発祥したものであることは、世界史、宗教史の常識ではありませんか。古代においては政治=宗教と、両者が一体化していたことも世界史の常識です。古代の国家は現代の国家とは様相が異なるとはいえ、古代の部族社会を統治する準国家形態から中央集権的な古代の統一国家においても、政治=宗教の関係は存続しています。イスラム教などの一部を除いて、両者が完全に分離するのは、近代以降のことです。


 キリスト教や仏教やイスラム教などの世界宗教は、宗祖となる特異な能力をもった個人によって創始されましたが、いずれも当時の国家には対立的な、あるいは国家権力には帰属しない場に身を置いて宗教活動を開始しました。しかしこれらの宗教が宗教として定立すると、国家統治の基本原理として時の権力者に活用されるようになりますが、宗像・沖ノ島遺跡群にその原像を印す日本の民族宗教である神道は、自然崇拝を基本にしていることもあり、世界宗教とは異質な面のあることは事実です。


 日本には6世紀に、世界宗教の一つである仏教が伝来しましたが、一神教であるキリスト教やイスラム教とは異なり、仏教は日本の神道とも対立することなく併存してきました。また、神道には世界宗教とは異なり厳しい戒律は存在しませんし、八百万の神々を戴く神道はもともと非常に寛容であり、非排他的です。神に対してであれ、神道には絶対服従という概念は存在しませんので、明治政府による廃仏毀釈が行われた一時期を除いて、世界宗教である仏教と民族宗教である神道とが仲良く共存してきました。この共存は現在も変わりなくつづいています。おそらく両者の共存は、日本が一神教によって支配されるような事態が発生しなかぎり、未来永劫つづくはずです。


 世界史的に見るならば、世界宗教が普及すると、民族宗教は抑圧されるか消滅してしまいます。仏教は世界宗教とはいえ一神教のような排他性がないこともあり、日本では神道とも共存してきましたが、神道のように世界宗教誕生以前からつづく民族宗教が、世界宗教受容後も、両者ともに互いに共存し、共に広く信仰の対象になっているという例はきわめて稀ではないかと思います。


 世界宗教が普及するとなぜ民族宗教が消滅するのかといえば、周知のごとく、世界宗教が他民族支配の手段として使われたからですが、なぜ日本では民族宗教である神道が消滅することなく今日まで存続してきたのかといえば、言うまでもなく、日本がこれまで外国に支配されずにきたからです。世界宗教普及の変遷は、世界の支配構造の変遷を映す鏡ですが、民族宗教の存否は、その変遷を裏から映し出す投射機のようなものです。つまり神道という日本の民族宗教が今日まで存続してきたということは、日本は先史時代から今日まで、外国に支配されることなく独立国として存続してきたことを証明しています。これは国の独立と宗教との関係を示すものであり、世界史的にも非常に価値のあることは多言は要しないはずです。


 しかしイコモスは、宗像大社が具現する信仰(神道)と、沖ノ島が具現する信仰との関連性は証明されていないとも断じています。宗像大社のご祭神は、天照大神と素戔嗚尊(すさのおのみこと)との誓約の結果誕生した次の三女神です。(宗像大社HPより


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 三女神は素戔嗚尊の剣を種に生まれたので素戔嗚尊の子供ともいえますが、天照大神の手によって生まれたことには変わりはありません。宗像大社のご祭神が上記の三女神であること、そして三女神は、天照大神の神勅として沖津宮(沖ノ島)、中津宮(大島)、辺津宮(本土・宗像市田島)のご祭神として降(くだ)されたことが、日本の歴史書「古事記」(712年)「日本書紀」(720年)に書かれています。つまりこの三女神は、天照大神の神勅により、三柱(三女神)が一神として宗像の地に降下されものであり、切り離すことはできないということです。


 これほど明瞭に沖ノ島祭祀の由来を文字で記した記録が存在するにもかかわらず、なぜイコモスはこれを無視して、三柱のうち沖津宮(沖ノ島)だけを取り出そうとするのでしょうか。イコモスの委員には学術的な誠実さが欠如しています。神々の由来を語る神話は、神々の誕生も含めて、物理的な意味で事実なのかといえば、物理的にはありえない、証明できないというほかありませんが、世界中の神話はすべて同じ次元に属しています。世界宗教のキリスト教や仏教などにも、物理的な証明が不可能な話が多数登場しています。我々人間とは次元を異にした、超常的存在であるがゆえに神は神たりうることは多言は無用でしょう。神話的要素を含まない宗教は、この世に存在しないと断言します。


 日本よりはるかに早く仏教が伝来していたにもかかわらず、儒教の力が極度に強く、儒教が宗教を代替していた中国や朝鮮では、宗教(仏教)が広く、深く人々に受容され、浸透するという状況は生まれぬまま今日にまで至っています。儒教の教えにも奥深いものがあるとはいえ、現実の人間世界の処世のありようをきわめた儒教には、神話的要素は皆無です。神話的要素とは、超人的な対象=神を崇め、畏れる心性=神の加護を信じる心性を人々に付与する力であるともいえますが、こうした超常的、超人的存在をもたぬまま民族の長い歴史を刻んできた中国と韓国は、世界的に見ても、他に例のない特異な位置にあるのではないか思われます。


 ただ、かつては仏教先進国であった中国は多数の高僧を輩出し、日本の仏教の礎を築いてくれました。また中国人には信仰心の篤い人も多く、日本と交易をする中国商人の中にはお寺まで寄進する人もいましたし(お寺は長崎や福岡に現存)、航海の安全を守る女神信仰も長くつづいてきました。宗教を否定する共産党政権下では、中国人個人の宗教心は外部からは見えなくなっていますが、かつては中国にも宗教に帰依する人々が少なからずいたということです。


 日本はこの中国を師として仏教も儒教も受容しましたが、在来の民族宗教である神道とも、互いに他を排除せず、対立することもなく共存共栄しつつ、日本人の精神的バックボーンを形成し、今日にまで至っています。日本人の宗教的寛容さはおそらく、非一神教的な、厳しい戒律を持たぬ、自然崇拝を基とする神道に由来するものだろうと思います。極度に排他的なイスラム原理主義者による暴力が世界中で猛威をふるっている現在、非常にゆるやかに他をも包含する神道のもつ宗教性は、宗教本来の祖型を示すものであり、非常に希少であり、価値あるものだと思います。宗像大社の沖津宮(沖ノ島)には、この神道発祥とその変遷の跡が残されているわけですが、イコモスはそれを認めようとはしていません。


 イコモスの委員は文献を読まず、モノだけで判断しようとしているようですが、彼らが判断の基礎としたモノそのものの選択にも非常な偏りがあります。本土にある辺津宮・宗像大社本殿の奥の小高い所に高宮と呼ばれる古代祭場の跡があります。写真からはずいぶん明るい開けた印象を受けますが、わたしが昔、世界遺産などまったく話題になっていない頃に訪れた時の印象は、うっそうと樹木が生い茂り、もっと薄暗く、まったく人気(ひとけ)がなければ、一人では立ち入ることがためらわれるような、はっきり言うと少し怖い(=畏い)ような雰囲気が漂っていました。いかにも古代の祭場跡だと思わせるような印象でした。写真は撮りようによって印象は異なりますので、実際は昔と変わってはいないのかもしれませんが、この高宮も沖津宮(沖ノ島)と同様の古代祭祀の跡であることは明白です。つまり本土の辺津宮にも、古代祭祀の跡がモノとして残されています。


 社殿を持たないこの高宮は三女神降臨の地だともいわれていますが、沖ノ島での信仰が社殿信仰へと変遷する、その媒介的位置にある遺跡であることは明白です。神の降臨ないしは神の御言葉の降ることを祈った場であったのだと思います。イコモスの委員は、沖ノ島と社殿信仰とをつなぐこの高宮の価値をなぜ無視しているのでしょうか。


 イコモスの委員たちは文献を読むのが苦手なのでしょうか。モノで証明せよというのであれば、宗像三女神をその手で誕生させた神であり、天皇家の皇祖神であるとともに日本の総氏神様、最高神でもある、天照大神をご祭神とする伊勢神宮に奉献されている品々には、沖ノ島で発見された奉献品と同じものが含まれています。伊勢神宮以外にも、古い由緒のある神社には、沖ノ島の奉献品と同じ物が残されています。これらの神社はいずれも宗像大社の沖津宮(沖ノ島)同様、海や水辺に位置しています。海上交通の安全を司る神々が祀られているということです。


 また、応神天皇が織工女の招来のために中国の呉に使いを送りますが、呉の王は日本のこの求めに対し、4人の織女を与えました。4年をかけて勤めを果たした使いは4人の織女を連れて帰国しますが、その直前に天皇は崩御します。応神41年(西暦年には諸説あり、400年前後の頃)のことですが、4人の織女の一人は宗像大神に奉献されています。


 実は機織りは、最高神である天照大神の所掌する重要な御業であったことは、「古事記」や「日本書紀」にも記されていますが、それを証明する宝物が沖ノ島からも出土しています。金製のミニュチュアの織機ですが、全ての部品もそろって残されており、ミニュチュアながら、実際に機織りができるという。実際に布を織っている写真といっしょに展示されている沖ノ島出土の金の織機を見たときは、現実の物とは思えないほどの驚きと感動を覚えました。これと似た織機が伊勢神宮にも奉献されているそうです。他の神社にも完成品ではないながら、織機が奉納されている例はいくつもあるという。モノの検証をとおしても、沖津宮(沖ノ島)での祭祀と他の神社での信仰(日本の神道)との関連性は明白です。


 日本の遺産委員会がどのような申請書を書いたのかまでは確認していませんが、委員会は沖ノ島遺産群を、アジア(実は朝鮮半島)との交流を示す古代祭祀という基本コンセプトで、遺産登録準備を進めてきたことは散々報道されてきましたので、その路線で作成されたものと思われます。しかし沖ノ島の価値は世界史的なものであり、世界史や世界の宗教史の中でその価値を位置づけるべきものであることは、すでに述べたとおりです。


 アジア(朝鮮半島)交流といえば、古代の日本と朝鮮とが仲良くお付き合いしたかのような印象を受けますが、事実は日本による朝鮮半島(百済、新羅)への武力侵攻です。日本への朝貢を求めての武力侵攻ですが、沖ノ島の祭祀跡は、その戦勝祈念や戦勝への感謝を示す遺跡にほかなりません。以降、百済や新羅は毎年のように、貴重な宝物類やクジャクやラクダなどの珍獣を携えて日本に朝貢してきました。


 663年、唐は新羅と連合して日本の配下にあった百済を滅ぼした後、その地を支配していましたが、新羅は676年に唐を追い出し、朝鮮を統一しました。しかし新羅は朝鮮統一後も日本への朝貢を続けています。新羅が朝鮮半島を統一するまでは、朝鮮半島情勢が影響していたのか、大国の唐の遣使もしばしば日本を訪れたという。それらの遣使が天皇に捧げた品々は、天皇によって伊勢神宮などの各社に奉献されたという。沖ノ島の遺跡から、中国産の金の龍頭や新羅系の金の指輪が見つかったことからも、沖ノ島にも奉献されたと思われます。


 しかしもう一つ、沖ノ島=宗像信仰を特徴づける国家的大プロジェクトがあります。遣唐使派遣事業です。唐の先進文化移入のためにはこの事業の成功は至上命題でした。600年から遣隋使派遣が始まりますが、隋が唐に滅びた後は、遣隋使に代わり、630年から遣唐使派遣が始まります。遣唐使派遣は、唐の滅亡間近となった894年に廃止されるまで続きます。派遣に際しては、派遣の無事を祈願する祭祀が各社で行われるのが常でしたが、遣唐使船が難破して失敗した後に実施される遣唐使再派遣時には、天皇が、宗像大社をはじめ各社、各寺院に遣唐使の無事の往還を祈念する大々的な祭祀を命じた記録も残されています。最高級の品々を奉献して神のご加護を祈ったわけですが、沖ノ島の豪華な宝物類は、その祈りの強さを物語っています。しかし遣唐使派遣が廃止されると沖ノ島への奉献も終わっています。遣唐使派遣がいかに重要な国家的事業であったかを物語っています。


 また、新羅は宝物類を朝廷に献呈してきましたが、810年頃からは、新羅からの逃亡農民の流入が増加するとともに、海賊と呼ばれるような新羅の兇徒たちが日本を襲来しはじめました。新羅で頻発する飢饉や政治的腐敗による混乱から、人々が生活に困窮するに至ったことが原因のようですが、当初朝廷は、新羅人を今で言う移民として受け入れ、土地(口分田)や家や仕事を与えて救済してきましたが、日本側にもその余裕がなくなり、まず受け入れ現場の地方から新羅人受け入れノーの悲鳴が上がり、ついに朝廷も新羅人の受け入れを拒否するに至りました。


まるで現在のEUと中東難民との関係とそっくりですが、日本側が受け入れを拒否しても新羅からの日本襲来は収まりません。新羅海賊の襲来は激しさを増すばかり。朝廷は869年には、新羅襲来への警護を強化することを諸国に命じます。宗像社でも、878年に新羅排撃の祭祀を行ったことが記録されています。その後も、新羅の襲来はつづきます。


 この新羅からの襲撃防備に日本中がどれほど苦しめられ、力を費やしていたかは、葦書房刊、朝日新聞福岡総局編『はかた学2 古代の都市・博多』(1320円+税、執筆者は大学教授などの専門家)に詳しく書かれています。遣唐使までもが新羅海賊に襲撃され、命を落とした者もいたという。新羅海賊が怖いとは公にはできなかったものの、新羅海賊への恐れも、遣唐使廃止の理由の一つであったらしい。日本は二度の元寇(1274年、1281年)による元と高麗の連合軍による襲撃以前に、すでに800年代半ば頃から、新羅による激しい襲撃にさらされ続けてきたのでした。


 しかし936年、その新羅もついに滅び、高麗が朝鮮を統一します。新王朝高麗は日本に通交を求めてきましたが、大和朝廷は高麗との国交回復をも拒否したという。新羅を滅ぼした高麗との通交まで拒否したとは、朝廷の朝鮮半島王朝への拒否感はただごとではありません。こうした事実は、日本の仏教は高麗を真似たという、昨今流布している俗説を否定するものだと思いますが、両者に似ているところがあるとしたならば、高麗が日本を真似たというのが事実だということです。しかもこの高麗が中国の元をそそのかして、日本を襲撃するのですね。王朝変われど、その攻撃性は変わらず。日本の貴族には、無法化した海賊と戦う力は不足していたとはいえ、日本の朝廷が高麗との通交までも拒否したのも分からぬでもありません。


 文献を無視したモノだけを相手にした解釈では、捏造は容易です。沖ノ島の祭祀遺跡が語っているのは、古代におけるアジア交流ではなく、古代においてはいかに政治と神への祈り、祭祀が一体化していたかではないでしょうか。古代における祭祀といえども、経済的な基盤なしにはなしえぬことは言うまでもありません。現代ならば、信徒個々人の喜捨や寄進によって維持されるのが基本ですが、古代においては、個々人の寄進によって祭祀が維持されるということはありえません。生産手段が限られ、生産能力の乏しい古代にあっては、個人でなしうる仕事はごく限られており、集団によって生産に当たらざるをえません。農業はもとより、狩猟でも、大きな獲物は集団によらなければ手に入れることは不可能です。となると、生産物も集団内で分配することになります。


 時代ととともに生産力が上がったとしても、階級分化が進み、富が権力者に集中するようになり、個々人の取り分はさして増えることはありません。こうした古代にあっては、個人が個人的な思いから神への祭祀を始めるということはありえません。そもそも神への信仰は集団幻想として発現するものです。古代にあっては、神への信仰は幻想ではなく現実そのものであったわけですが、国家ないしは部族や集落などのプレ国家的な集団の総意として祭祀がなされ、国家や部族などの保護下で祭祀が維持されてきたというのが、民族宗教史の常識です。宗像社も、当地一帯を支配する海人族の豪族である宗像氏が神官として祭祀を司っていました。この宗像氏は天皇家とも姻戚関係にあり、朝廷からも厚遇を受けていたことが多々記録に残されています。


 祭政一致とはいえ、日本では600年代半ば頃から始まる、法治による官僚制度を前提とした律令制が確立して以降は、卑弥呼の時代のような完全な祭政一致からは脱し、形の上では祭政分離が取られていましたが、祭祀を司る神祇官(じんぎかん)が置かれていたことからも分かるように、律令制下でも、祭祀は政治の重要な分野として正規に位置づけられていました。律令制は中国から移入した制度ですが、神祇官は本家中国にはない日本固有の、神道に立脚した制度です。朝鮮半島にも存在しません。


 朝鮮半島との仲良し交流という全くの作り話によって沖ノ島の古代祭祀を意味づけようとするのは、おそらく韓国側からそそのかされた結果によるものだと思いますが、韓流作り話では、沖ノ島の古代祭祀の実相を読む解くことはできません。それどころか、沖ノ島の古代祭祀どころか、日本の神道そのものまでもが歪められる可能性は非常に高い。


 韓国は、韓国で見つかった竹幕洞祭祀遺跡と沖ノ島とを関連付けて、日本の古代祭祀(日本の神道の祖形)は韓国から移入されたものだ、あるいは少なくとも両者は同じだというコンセプトで、つまりは日本の神道も韓国の影響下で生まれたものだと世界にアピールすることを狙って、世界文化遺産登録を目指していますが、沖ノ島祭祀跡以外の宗像大社や古墳などの遺跡群については、いかに捏造好きの韓国でも似ていると主張できる遺跡は皆無です。邪魔になるものは除外せよという指令がイコモスに伝達されたのではないか。


 昨今の国連は、韓国や中国に事実上牛耳られていることは、日本批判声明が異常なまでに連発さていることからも推測できます。特にユネスコや国連人権委員会は韓国人の影響力が非常に強い。潘事務総長退任後の現在は、国連での中国の影響力がより強まってまいす。日本にとっては、中韓の連携は最凶コンビです。


 もしも宗像・沖ノ島関連遺産群のうち、沖ノ島(沖津宮)だけが世界遺産に登録されるという決定が出されたならば、日本政府はこの登録決定を拒否すべきです。


国連


 つい先日、国連特別報告者(どういう身分、資格の人なのか?)マルタ大学教授のジョセフ・カナタチ氏から日本版共謀罪「テロ等準備罪」は危険だとの懸念が表明されました。


 本当に日本の共謀罪だけが異常なものなのか、海外の共謀罪やそれに類する法律はどうなのかと思い、ネットを探してみたところ、法務省が主要国の条文を抜き出し、比較していました。他には純粋に条文そのものを比較したものは見当たりませんでしたので紹介します。いやしくも法務省です。我田引水的な引用はしないはずです。


共謀罪海外比較 付録・共謀罪に対する御懸念について(法務省HP)


上記米英独仏4カ国の比較を見れば分かるように、犯罪の対象への制限は一切なく、二人以上の複数や集団で何らかの犯罪を共謀し、準備した場合に適用されるという条文趣旨になっています。アメリカは二人以上の者が「共謀の目的を果たすために何らかの行為を行ったとき」という、解釈の幅が非常に大きい、抽象的な表現ながら、「何らかの行為を行ったとき」という条文になっていますが、他の3国は、いずれも実行に移す前の合意だけ、あるいは犯罪を意図した団体を設立しただけでも適用される内容になっています。


 欧米の法律名は米英が「共謀罪」、独が「犯罪団体の結成の罪」、仏が「兇徒の結社罪」となっており、テロだけを対象にしたものではなく、テロを含む集団による犯罪を対象にしたものであることが名称からも分かります。しかし日本版共謀罪は「テロ等準備罪」と呼ばれており、対象も次のように制限されています。


組織的な犯罪の共謀罪対象となり得るケース・ならないケース」(法務省HP)


 条文そのものを比較するならば、日本の「共謀罪」だけが特に危険だとは思えません。それどころか、対象犯罪を具体的に制限していることからすれば、むしろ、他国よりも危険性は低いのではないかとさえ思われます。法律名からも分かるように、この法律の最大の眼目は「共謀」という名のとおり、単独犯ではなく、複数人や集団による犯罪(テロだけに限定したものではありません!)を対象にしたものです。これは、欧米4カ国の法に明確に共通しています。


 日本の共謀罪もこの点では共通していますが、むしろ日本の場合は犯罪の対象を具体的に列記しており、欧米法よりも限定されてしまうのではないかとの危惧すら覚えます。にもかかわらず、なぜ日本だけが批判の標的にされるのかは全く分かりません。日本ではこの共謀罪が即適用されそうな集団は暴力団ではないかと思われますので、暴力団もおそらく反対を叫んでいるのではないでしょうか。


 国連の特別報告者は、欧米の共謀罪の条文そのものを読んでいるのでしょうか。読んでいないのではないかとの疑惑すら感じます。日本の野党をはじめ反対派の方々にも同様の疑問を感じます。ただし、以上は、法務省が引用公開している欧米法が事実そのとおりであることを前提にした批判です。国連特別報告者は、世界の共謀罪と日本の「テロ等準備罪」とを、条文そのものを比較してどこが問題なのかを具体的に指摘すべきではありませんか。


 しかし国連の日本攻撃はさらに続きます。今度は、カリフォルニア大学教授のデービット・ケイ氏という国連特別報告者が、日本では報道の自由が侵害されているとの報告を発表しました。具体的には(1)日本政府は放送法を使って報道に圧力をかけているので、放送法を廃止せよ。(2)記者クラブ制度は調査報道を委縮させるので廃止せよ。(3)従軍慰安婦問題などの歴史認識問題に関して、日本政府は正しい立場(世界標準になった中韓の主張)に立ち、中韓の主張を教科書にも反映させよ。(4)特定秘密保護法は危険なので改正せよ。(5)沖縄の反基地活動を抑圧するな。


 ケイ氏のこの報告はいったい誰のためになされたものなのか、との疑問も沸き立つ報告書です。では個々について検証します。


(1)については、一部を除き日本のマスコミは、今現在も激しい安倍政権批判を繰り返しており、政府が報道に圧力をかけているという事実はない。むしろ安倍政権擁護を公然と口にすることすらはばかられるようだというのが現実です。(2)は報道機関の問題ですが、廃止すべきだと思います。(3)については、むしろケイ氏こそ、中韓の主張一辺倒という偏向姿勢から脱し、客観的な事実に基づいた調査をなすべきではありませんか。(4)日本の特定秘密保護法と、欧米をはじめとした世界各国の同種の法の条文そのものを具体的に比較し、日本の保護法のどの条文がどう危険なのかを具体的に指摘すべきではありませんか。(5)沖縄の辺野古埋め立ての反対運動をめぐっては、活動家が長期に渡って拘束されていましたが、政府のこの過剰な対応は批判されるべきだと思います。沖縄基地問題については米軍にも重大な問題がありますが、ここでは取り上げません。


 以上見てきたように、ケイ氏の報告書は、かの有名なカリフォルニア大学教授のものなのかと、その杜撰さに驚かずにはいられません。そもそも中国の異常なまでの報道弾圧、人権弾圧については、国連はなぜ批判しないのですか。韓国は日本以上に報道の自由が規制され、官民一体となって異論を抑圧しますが、この韓国に対しても国連は批判していません。


 朴大統領を皮肉っただけで産経新聞記者を逮捕した韓国政府の対応について、国連機関が批判したという事実は皆無です。韓国の大学教授の朴裕河氏は、『帝国の慰安婦』という本を出版しただけで警察に逮捕されました。政府の見解と異なっているというのが逮捕理由ですが、仮にも自由主義陣営の国で、本を出版しただけで逮捕されるというのは、韓国以外にはありません。しかし国連は、韓国に対しては言論の自由がないとの批判はしていません。


 日本の報道の自由の有無をいうのであれば、中韓に都合の悪い、特に韓国に都合の悪いニュースは徹底して隠蔽するという偏向をこそ問題にすべきではありませんか。従軍慰安婦問題の発端となった吉田清治氏の長男が、父親の捏造の事実を告白したという、日本にとっては重大ニュースであるはずのこのニュースも、初出の雑誌「新潮45」を除けば、産経新聞以外は、公共放送であるNHKも含めどこも報道していません。わたしもうかつなことに、最近知ったばかりで驚愕しています。ご長男の告白内容ももとより、これほどの重大ニュースをなぜマスコミは報道しないのかという、二重の驚愕に襲われています。


zakzak夕刊フジ2016/8/23慰安婦捏造”吉田氏の長男が真相激白「父は誤った歴史を作り出した」  吉田氏は朝鮮半島には一度も行ったことはなく、地図をみながら偽書を書いたという。

産経ニュース2017/6/11吉田清治氏の長男「父の謝罪碑を撤去します」「朝日がやらないから私がやります」ジャーナリスト・大高未貴

櫻井よしこ氏2017.06.01 吉田清治氏長男、父親の謝罪碑書き換え  ご長男は、父親が韓国に建立した謝罪碑の撤去そのものは物理的に難しいので、代理人に託して謝罪碑を書き換えたという。日本のマスコミはなぜこれほどの大ニュースを報道しないのか。

大高未貴著『父の謝罪碑を撤去します慰安婦問題の原点「吉田清治」長男の独白 


 ケイ氏は、上記一連の記事や書籍を読んだ上で報告書を書きなおすべきです。国連には日英翻訳者は多数いるはずです。学者なならば、対立する双方の見解を精査すべきです。ましてや国連の仕事ではありませんか。ケイ氏は沖縄にも一度も行ったことはないし、今後も行くつもりはないとヌケヌケと語っています。他のテーマでも同様なのでしょう。自分では直接調査せずに、誰かから提供された資料をまとめただけ。そんな楽な仕事でケイ氏はいったいいくらの報酬を得ているのでしょうか。他の報告者も似たり寄ったりでしょう。国連の予算を、全く政治的な偏向報告に費やすのはやめなさい。

 目下アメリカのトランプ大統領は、ロシアと結託して大統領選を有利に進めようとした罪で裁かれようとしていますが、日本の場合は、国連と結託して中韓に都合のいい政権誕生を目論む勢力が、日本攻撃=安倍政権攻撃を展開しています。しかし相手が国連さまとなれば、誰も不当な国政介入とは批判せずに、金科玉条のごとくありがたがって、その超偏向ご託宣を伏し拝んでいます。

 安倍総理の後釜を狙う有力候補の一人である石破茂氏は、先日韓国を訪問した際、東亞日報の取材に応じ、日本は韓国の納得を得られるまで謝罪しつづけるべきだと語ったという。このニュースはすでに523日に韓国では報道されていますが、日本ではネットを除けば産経新聞以外には報道されていません。このニュースが日本で報道されたならば、次期総理の有力候補で、中韓の言いなりになりそうな石破氏が総理になる道が閉ざされかねない、そんな中韓の思いを忖度したマスコミが、韓国での石破氏の発言を報道しなかったのでしょう。

 日本の報道は公共放送であるNHKも含め、政権による規制ではなく、中韓結託勢力による規制が異常に強い。しかも中韓結託勢力は、国連をも事実上牛耳っています。今や国連に公正さを求めるのはほとんど無意味、徒労以外のなにものでもありませんが、マスコミがその宣伝部隊として報道しつづけますので、批判をつづけざるをえないのが実情です。中国と韓国は国連の私物化を着々と進めています。特に中国はその経済力にモノを言わせ、国連の私物化を着実に進めつつあります。

「加計学園問題」参照:しのぎ削る中韓に日本が負けないために必要だ 国会で置き去りにされる獣医師の隠された役割(産経ニュース2017/6/15

加戸守行前愛媛県知事「虎の威を借りないと役人は動かない」「国会は何を議論しているんだ、このバカ野郎と…」(同2017/6/10豪快!明快!

岸博幸・慶大院教授インタビュー 「加計学園問題は改革つぶし」「前川は官僚のクズ」(同017/6/12

参照記事は産経ニュースばかりになりましたが、他に見つからず、偏向紹介となってしまいました。悪しからず。


posted by 久本福子 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会時評

2017年06月02日

加計学園問題の深層

29日に、またもや北朝鮮がミサイルを発射しました。しかも、新たに開発した精密誘導システムを導入した弾道ミサイルの発射に成功したという。前日には対空迎撃ミサイルの発射実験も実施されたという。北朝鮮によるこれの報道がどこまで事実なのかは不明ながら、中国指導による北朝鮮でのミサイル発射実験が、急ピッチで進んでいることは確かなようです。北朝鮮を介しての中国によるアメリカへの牽制が第一ですが、日本に対する威嚇も含んでいるのは間違いないでしょう。


 中国は北朝鮮に対しては、パキスタンとは比較にならない強力な軍事支援も続けているはずです。北朝鮮は中国の鉾とも盾ともなりえますが、現に立派な盾として中国に貢献しています。核実験を繰り返しても、ミサイルを発射しても、世界の非難は北朝鮮に集中します。しかも非難されればされるほど、北朝鮮の存在感は増すばかり。背後に中国がいることは明白ながら、北朝鮮を表に立てているだけに、アメリカも日本も世界も非常に対応が難しい。


 しかしよくよく考えると、北のミサイルは一度も韓国ソウルの上空を飛んだことはなく、全て日本海に撃ち込まれています。そのうち4回は排他的経済水域、いわば日本の領海内にぶち込まれたわけですが、日本は一度も反撃していません。自国の領海内にミサイルをぶち込まれて、事実上黙認している国、日本。こんな国は他にあるのでしょうか。


 折も折、30日には、中国の外相に当たる楊国務委員が来日しましたが、楊氏は日本政府に対して、北朝鮮問題は平和的な交渉による政治的解決を求めたという。北には実力行使をそそのかし、その軍事力を高め、繰り返し日本海にミサイルをぶち込ませていながら、日本には無抵抗主義を求める中国。


 日本は中国と北朝鮮から背中に銃口を当てられながら、黙って我々の要求を呑めと脅しをかけられているようなものです。しかし日本政府も日本国民のほとんども、自力でこの脅迫を跳ね返そうとは考えたこともないはずです。日本国民自身も、中国政府に完全に同調し、平和的解決を求めています。この異常なまでの無抵抗主義は、憲法9条の賜物なりや? 


さて本題の加計学園問題ですが、この問題は前川喜平前文部科学事務次官の告発により、新たな展開を見せています。文科省の事務方トップであった前川氏が、加計学園(岡山理科大学)の獣医学部新設に関して、安倍総理の意向があったとする文書は実在すると公の場で断言しただけではなく、獣医学部新設は何の根拠もなく(つまりは安倍総理の意向によって)決められたもので、「行政がゆがめられた」とまで批判しています。事務方トップの証言となれば、真実味も極度にアップ。野党はもとより、ほとんどのマスコミも、前川氏の告発を勇気ある行動と称賛し、安倍政権批判を強めています。


 しかし事の経緯は、ほんとうに前川氏の言い分どおりなのでしょうか。この疑問に、元経産省官僚で慶応大教授の岸博幸氏が次のように答えてくれています。

 ダイヤモンドオンライン2017/5/26加計学園の報道されぬ真実、黒幕は総理・官邸・内閣府ではない!

 岸というお名前から安倍総理の親戚筋の方なのかと思い、ネットで調べてみましたが、親族ではないようですのでご紹介させていただきました。岸氏は、経済専門家として優秀であるばかりか、テレビなどにも出演し、専門的知見を使いつつ大衆的な人気も得ている方のようなので、よく知られている大学教授のようです。


 詳細は上記リンク先をご覧いただきたいと思いますが、岸氏は元官僚であった人脈をフルに使い、各方面に取材して事実を確認した上で書かれたとのことです。ポイントを抜き出すと、


1 獣医学部新設は52年も認められなかったほど、強固な岩盤規制と化していたのですが、獣医師の需給を所管する農水省とその族議員、その背後にいる日本獣医師会が反対してきたからです。」

獣医学部新設に限らず、強固な岩盤規制を突破し、省庁や族議員の反対を抑え込むために、「官邸の意向」や「総理の意向」という「ブラフ」(はったり、威嚇)を使うことはよくあることだという。

3 安倍政権は、特区は全国展開したいと考えていたので、獣医学部新設に関しても制限を設けずに、申請があれば全て認める方針であったという。しかし「所管する農水省や自民党(=族議員)」と協議し、調整する過程で「『広域的に獣医学部が存在しない地域に限り新設を認める』という表現を入れるという形でまとまったのが真相です。」その結果、京都産業大学と加計学園の2校の応募があったという。

4 さらにパブリックコメントを公募した際、「日本獣医師会から『広域的に獣医学部が存在しない地域とは 1ヵ所、1校であることを明示しろ』という意見が出され、自民党の国会議員からも同様の要望があったので、最終的に獣医学部新設は1ヵ所に絞ることにな」り、近隣の大阪に獣医学部のある京都産大がはずれ、四国には一校もないことから、加計学園(愛媛県今治市)だけが残ったという。

5 「つまり、結果として加計学園だけが認められる形になったのは、総理や官邸、内閣府の作為や責任ではなく、獣医学部の新設にずっと反対して今回も大反対を繰り広げた、自民党の族議員と日本獣医師会の意向によってなのです。」


 以上のような経緯を見るならば、総理の意向によって決められたものではないことは明らかです。岸氏は、個人でも以上のような事実は確認できたにもかかわらず、野党やマスコミがほとんど調査もせずに、「総理の意向」ありきを大前提にした批判や報道をしていることを批判しています。特にマスコミの責任は重いと批判しています。


 この案件を閣議決定する際、麻生財務大臣は反対したことも報じられていましたが、麻生大臣は日本獣医師会会長であり、自民党福岡県連会長でもある福岡県議の蔵内勇夫氏とは昵懇の仲です。麻生大臣が、蔵内氏との個人的関係とは100%無関係に反対したとは考えにくい。


 実は蔵内氏は、2016年、鳩山邦夫氏の急逝にともない、福岡6区で実施された補欠選挙で敗北し、責任をとって一度県連会長を退いていましたが、最近、再び県連会長に復帰しています。この補欠選挙の経緯は複雑で、邦夫氏の次男で当時福岡県の大川市長であった二郎氏と、県連会長の蔵内氏の長男で林芳正元農水相の秘書・蔵内謙氏が同時に立候補し、共に自民党の公認を求め、大紛糾しました。自民党本部も困惑したものの、世論調査の結果、二郎氏の人気が圧倒していたことから、謙氏に立候補辞退を勧告しましたが、福岡県連と謙氏側はこの勧告を無視して選挙戦に突入。


 麻生大臣も謙氏を支援していましたが、党本部としてはいずれにも公認は出しませんでした。結果は予想どおり謙氏が大敗。この大敗の責任をとって蔵内氏は県連会長を一旦は辞任しましたが、最近、会長に復帰。加計学園問題で、蔵内氏が、にわかに衆目を集めることにもなった日本獣医師会会長であることも、この学園騒動で初めて知った次第ですが、今回の騒動は、蔵内氏のお名前が県外にも知られるきっかけにもなっています。


 以上のような経緯から見ても、麻生大臣の反対表明は、蔵内氏との親密な関係とは全く無縁のものだとはいえないはずです。しかし麻生大臣に対しては、お仲間の利益を代弁して反対したとの批判は皆無です。反対はよくて、賛成はダメだというのでは筋が通りません。問題は、賛否いずれが国の政策としては良策かという点での政策論争が展開されるべきであるにもかかわらず、野党、マスコミともに、岸博幸氏が調査したような基本的な事実すら確認しないままの、本道をはずれた安倍総理攻撃を展開しています。 


 ちなみに現在、獣医学部を持つ大学は以下の16校です。

<国立大学> 北海道大学 帯広畜産大学 岩手大学 東京大学 東京農工大学 岐阜大学 鳥取大学 山口大学 宮崎大学 鹿児島大学
公立大学> 大阪府立大学
<私立大学> 酪農学園大学(北海道) 日本獣医生命科学大学(神奈川県) 北里大学(東京都) 日本大学(獣医学部は神奈川県) 麻布大学(神奈川県)


 大学の数が増えると、学生の質も教員の質も低下することは、小泉構造改革時代に大学設置基準が緩和され、一気に急増した一般大学では証明済みですが、上記リストを見ると、四国の愛媛県に獣医学部が一校新設されることが、根拠なき新設だとも、不合理だとも、非合理だとも思えないのですが、いかがでしょうか。


 またこの問題では、加計学園だけが矢面に立たされていますが、繰り返し設置を請願してきた愛媛県今治市の願いについては一顧だにされていません。批判する方々は、四国の小さな自治体今治市の願いは不当だと考えているのでしょうか。では、大学誘致に期待をかけている今治市に対して、どのような新しい提案をされるのでしょうか。


 ただ日本の畜産農業に関しては、頻発する感染症への対策も重要ではあるものの、自由化に伴う打撃にどう対抗するのかは、より重大な課題だと思います。政府はもとより、獣医学部もこの難題にも取り組む覚悟が求められているはずです。自由化の進化と深化で、日本の畜産業が消滅してしまったのでは、獣医学部新設どころか、既存の数少ない獣医学部も消滅しかねません。


 安倍政権は米国抜きのTTPを推進する方針ですが、日本の畜産業の存続策抜きには、獣医学部新設も全く意味がありません。しかし今現在も、バター不足やヨーグルトの原料となる脱脂粉乳は輸入に頼り、不足を補うために輸入量を増やしているという。牛乳もお米同様、農水省の規制下にあり、生乳の大半は牛乳として出荷されていますので、加工に回される量が事実上制限されていることから、乳加工品は輸入に頼らざるをえない状況になっています。不可解極まりません。強固な規制下で、日本の畜産業は、強い農業とはほど遠い状況下に置かれています。


 安倍政権にとっての重要な課題は、これらの岩盤規制を突き破ることではないかと思います。今回の前川氏の告発事件は、政治家が官僚を使うことの難しさが初めて公開されるきっかけにもなりました。思い余った官邸は、前川氏の私的な醜聞を読売新聞に流したらしいとのことですが、この問題の本質は、獣医学部新設が、日本や四国、愛媛県今治市にとって必要なのか否かではないかと思います。


 特に今治市は、非常な困惑の渦中にあるはずです。与野党ともに、この四国の小さな市に対しても、納得のいく説明をする責任があるはずです。



ポンペイの壁画展
タイ 仏の国の輝き

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2017年05月25日

北のミサイル連射の深層

 5月21日、北朝鮮がまたもやミサイルを発射しました。先週に引き続いての短期の連射です。日本政府や国連をはじめ海外の反応は例によって例のごとく、儀式化したパターンを繰り返していますが、非難声明を出すだけでは、全く何の意味もありません。経済制裁もほとんど効果を上げていないことは、莫大な費用が必要なミサイルの連射が証明していますが、この問題をめぐってもっとも重要なことは、北朝鮮のミサイルはどこを標的にしているのかということです。


 中国やロシアを標的にすることは100%ありえないことは明白です。もし仮にわずかでもその可能性があれば、中露とも北朝鮮を支持、支援することはありえず、容赦なく北朝鮮を叩き潰すはずです。少なくとも、緩衝地帯として北の体制は温存しつつも、核、ミサイル開発は実力をもって阻止、破壊するはずです。それをせずに、むしろ北支持で一貫しているということは、中露とも北が両国を攻撃することは100%ありえぬことを確信しているからです。


 ロシアはソ連時代にはある時期まで北を直接支援してきましたが、現在の北の最大の庇護者は中国であることは世界が認めるところです。ここで問題なのは、中国の北支援が経済的な領域だけではないということには、ほとんど焦点が当てられていないということです。北の核やミサイル開発はアメリカがひそかに支援しているとの情報もありますが、もし仮にそうであれば、北の核やミサイルが中国にも向けられる可能性はゼロではなくなります。仮に1%でもその可能性があれば、ロシアはもとより中国も座視するはずはありません。中露が北を陰に陽に支持、支援してきたのは、北の軍需技術を支援しているのはアメリカや親米勢力ではないことを証明しています。ではどこか。中国以外にはありえぬことは明らかです。 


 実は中国は、1970年代にはパキスタンへの核開発支援に乗り出し、長期にわたってパキスタンでの核開発を進め、同国を核保有国に仕立て上げたという。これは、故深田祐介氏が20年ほど前に出版された『激震東洋事情』(文春文庫)に書かれていたものですが、同書によれば、中国は技術者を派遣して、手取り足取りしながら核開発をイロハから教え、核実験のボタンも中国人技術者が押したといわれているほどの熱の入れようだったという。さらに加えて、中国は同国に、核弾頭搭載可能なミサイルまで送り込んだという。のみならず、中国はパキスタンに対してミサイル開発まで指導し、ミサイル発射実験も成功させたという。当時のパキスタンは世界最貧国の一つであり、物乞いの群れが国中に溢れたていたわけですが、その国情とは余りにもかけ離れた、中国の強力な支援を受けての核、ミサイルによるパキスタン軍の軍事力増強。今の北朝鮮にそっくりです。


 とはいえ、中国はパキスタンに対しては軍事支援だけではなく、ダムや火力発電所を建設し、原発まで輸出しているそうですので、少なくとも電力事情では民生向上にも協力はしてきたともいえますが、中国がこれほどパキスタン支援に力を入れてきたのは、中国の宿敵ともいわれるインドへの威嚇、恫喝が狙いです。パキスタンとインドとは、1947年にイギリスの植民地から独立する際、分離独立して以来、国境問題などで紛争が絶えず、3度も印パ戦争を繰り返すほどに修復不能な対立関係にあります。中国はそこに目をつけたわけです。


 1950年から始また中国政府による残虐非道なチベット弾圧に耐え切れず、1959年、ダライラマ14世はインドに亡命し、チベット亡命政府を樹立。中国がインドを目の敵にするのは、インドがダライラマ14世の亡命を受け入れ、チベット亡命政府を保護してきたことが最大の要因ですが、中国は1962年、インドにまで攻め入り、中印戦争が勃発。中国は武力ではチベット亡命政府を破壊することはできませんでしたが、インドの領土の一部を奪い取っています。自国の利益をのためなら手段を選ばず。


 インドは中印戦争では大敗し、甚大な被害をこうむりましたが、チベット亡命政府を追放せず、今も保護しつづけています。チベットは中国文化圏ではなく、インド文化圏下でその長い歴史を刻んできました。チベット仏教も直接インドから受容し、発展させたものです。チベット文字も同様インド由来、漢字とは全く無縁。にもかかわらず、中国は武力を使ってチベットを自国領土としましたが、それだけにはとどまらず、非中国的なチベット人の精神改造を狙って、今に至るも弾圧を繰り返しています。


 『激震東洋事情』によると、中印戦争で大敗したインドは、中国に加えて強大な軍事国家になったパキスタンからの攻撃に備えて、中国に近い北部にあった工業地帯を、55校の工業大学共々ごっそりと、中国からはもっとも離れた南部のバンガロールに移転させたという。この地はインドのシリコンバレーとして世界的にも有名になっていますが、その始まりが中国の攻撃を恐れてのことであったとは、インドが中国をいかに恐れているかが分かります。しかしインドはただ中国を恐れているだけではありません。自力で国を守る姿勢も堅持しています。核も保有していますが、核保有大国、中国を前にすると、インドだけを非難することはできません。


 しかし経済大国になった中国には、軍事力だけでは対抗することは難しい。どこの国であれ、この中国の経済力や中国市場を無視しては存続が難しいからです。事実、強大な経済力を得た中国は、その経済力を駆使して覇権の拡大に力を入れています。アジアインフラ銀行(AIIB)や一帯一路構想は、中国の国際的な影響力の大きさを世界に強く印象づけました。正式には参加していないアメリカと日本も、中国のもとになびき始めています。


 ところが、この中国を公然と批判する国が現れました。インドです。インドはアジアインフラ銀行(AIIB)には参加していますが、14日、15日、北京で開催された、中国が主導する一路一帯国際会議には、招待は受けたものの出席を拒否したという。詳細は産経新聞ニュース(2017/5/22)がインド・ヒンドゥスタン・タイムズ「公然とボイコットしインドは、最も声高な反対国となった」「資金調達法など説明要請を中国は渋った」と報道しています。この記事の前に産経新聞は2017/5/14インド、会議参加を拒否、中パ経済回廊に反発という記事でインドの不参加を報道していますが、不参加の理由は、22日のインド紙引用記事がより詳細です

 インドが出席を拒否したことはNHKも含めて他紙では報道していないはずですが、インド紙を引用した記事には、中国の「現在」が核心をついて簡潔に示されています。超大国と化した中国にも一切おもねることなく、事実をそのまま伝えるインド紙の記事には、一読後、粛然とさせられました。日本にはもとより、世界にもここまで書ける記者や新聞社はいないはずです。インドの不参加やインド紙の記事を紹介した産経新聞は貴重ですが、韓国政府に続き、中国政府からも嫌がらせを受けないかと心配です。

 実はインドの不参加を報じた記事は、本号のテーマを書きながら、どうしても解けない難問にぶつかっていた、その難問をも瞬時に解いてくれました。北朝鮮がなぜ、一帯一路国際会議開催直前に習主席の顔に泥を塗るようなミサイル発射を強行したのかという難問が解けずにいました。この難問が解けなければ、北の核、ミサイル開発は中国支援下でなされているという、本号の趣旨と矛盾します。誰も彼もが北のミサイルは習主席の顔に泥を塗ったとは指摘していますが、なぜ北がそこまで反中国的な行動を取りうるのか。にもかかわらず、中国はなぜその北の暴発を許しているのかなどについてまでは、探索しようとはしていません。

 本当に北が反中国的な行動を取ったのであれば、北の背後には中国以上の強力な支援者が存在することになりますが、それはアメリカ以外にはありえぬことは言うまでもありません。しかしアメリカが中国に対抗して北の支援者になることは100%ありえません。もしそうであれば、中露も北を支援、支持するどころか潰しにかかるはずです。

 しかし一帯一路国際会議開催直前の5月13日に、インド政府が公然と中国からの参加招待を拒否し、覇権国家中国の隠された野望と中国による開発支援事業の悲惨な実態の一端に触れるような声明を臆することなく発表したという事実が分かれば、13日の北のミサイル発射が中国支援のもとで行われたこととが矛盾なくつながります。インド政府の不参加表明が世界中で報道されるならば、中国にとっては習主席の顔に泥を塗られるどころの話ではなく、一帯一路構想そのものへの疑問が惹起され、構想にかける中国政府にとっては致命傷にすらなる恐れさえあります。しかしこの危機は、13日の北のミサイル発射騒動で完全に隠蔽され,回避されました。 

 さらには2週連続で、21日にも北はミサイルを発射しました。しかも超異例の夕方の発射です。この発射は、中国の一帯一路構想がはらむ闇を冷静に報道したインド紙の記事が掲載された日でもありますが(産経が22日に同記事を紹介)、アメリカのトランプ大統領が初の外遊先のサウジアラビヤで開催する、イスラム圏50カ国の指導者との会議当日でもありました。アメリカが空母2隻を派遣しての北への威嚇を完全に無視するパフォーマンスです。これこそトランプ大統領の顔に泥を塗ることを狙ったものだといえそうです。

その上さらに、トランプ大統領がサウジとミサイル売却(12兆円!)で合意したそのさ中に、北はミサイルを発射した後、ミサイルの量産を指示しました。アメリカをバカにしているとさえ思えるようなタイミングですが、この離れ業は、北朝鮮単独では不可能です。

 さらに偶然なのか、20日には、中国がアメリカのスパイ12人を殺害したことがニューヨークタイムズで報道されました。このニュースは、中国政府が、アメリカ政府を威嚇するために意図的に流出させたものだと思われます。つづいて22日には、日本人6人がスパイ容疑で拘束されていることを、中国外務省が記者会見で明らかにしています。こちらは日本政府に対する威嚇ないしは嫌がらせでしょう。

 一帯一路国際会議を華々しく開催はしたものの、実のあるものに展開してゆく見通しは立っていないはずです。北朝鮮を使って隠蔽工作には成功したものの、インドが指摘する中国主導による開発実態の悲惨さは、図星をついているだけに、中国政府はその欠陥を埋めるためには日本を引きずり込みたいはずですが、自らは日本に頭を下げてまでは頼みたくはない。逆に日本が頭を下げて参加を申し入れる状況をつくってやろう、と考えても不思議はありません。

 今や中国市場抜きには、国であれ企業であれ、存続することは難しいのは事実ですが、国際的な影響力が強くなれば強くなるほど、中国は世界に対しても自国の国益最優先を遠慮なく要求してきます。ここが対中関係の難しさですが、WHOにはオブザーバとして参加してきた台湾は、22日に開催された総会には、中国政府の妨害で参加できなくなっています。しかし、国連を私物化する中国の横暴にもどこの国も抗議していません。今や国連も中国や韓国の私的機関となり下がっています。このままさらに中国が強大化すれば、中国は容赦なく覇権の牙をむき出してくるはずです。

 この中国に対して、たった一国で堂々と正面から立ち向かうインドには敬服します。中国に歯向かうと必ず報復があることは数々の事実が証明していますが(アメリカに歯向かっても必ず報復がありますので、大国に歯向かうと必ず報復があるというべきなのでしょうが)、報復を恐れぬインドは、自力で自国を守ろうという気概に満ちているのだと思います。中印戦争ではインドは中国に大敗し、多くの戦死者を出した上に、領土の一部まで奪われたもかかわらず、それでもなお中国を恐れぬとは! しかも中印戦争当時とは比較にならないほどに中国は超大国になっています。インドも当時とは比較にならないほどに強国になったとはいえ、中国はアメリカと覇権を競うほどにもなっています。

 日本にもっとも欠けているのは、まさに独立自衛の気概です。この自衛とは、武器をもって戦うことではありません。外国の支配から独立しようという気概をもつことです。ここでいう外国とは、アメリカのみならず中国、韓国をも含みます。この課題は、日本政府や政治家、官僚のみならず、日本のマスコミ各社、そして我々日本国民全員が自らの覚悟と責任でもって負うべきものだろうと思います。


 日本の真の独立なしに、憲法改正も共謀罪も真に日本国民と日本国を守るものとはなりえません。 

 

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2017年05月10日

諫早干拓の反公共性


昨日(5/10)、本ブログ「諫早干拓の反公共性」公開後、twitterで更新のお知らせをしたのですが、本日(5/11)twitterを確認したとろ、そのページは見当たりませんとの表示が出てきてビックリ。原因を調べたところtwitter上に表示されている「諫早干拓の反公共性」をクリックすると、本ブログとは異なったアドレスが表示されていました。見当たらないはずです。twitterからは不正ログインの連絡はきていませんので、どのようにしてアドレスが書き換えられたのは不明ですが、本ブログの正しいアドレスはashi-jp.sblo.jp/article/179701438.htmlです。次の更新までは、TOPページashi-jp.sblo.jpでも同ブログが表示されています。なお偽アドレスは削除しましたが、赤文字の数字の部分が「17901194」と書き換えられていました。(5/11)


前回、前々回のブログ更新後に、タイトルなし、本文なしの空白のままのブログが次々と更新されるという異変が発生しました。当初はその原因が分かりませんでしたが、実は、twitterを使った嫌がらせであることが判明しました。twitter(会社)から、通常ではないログインがあった旨連絡があったのですが、twitter上には盗まれるような情報もなく、さして問題も感じずにそのまま放置していました。ところが、その後、同じ連絡がtwitterから届きました。ちょうど、ブログ更新後に再び空白のブログ更新がなされていたのですが、すぐには両者が結びつきませんでした。異変が続くので問い合わせをしていたブログ運営会社から、空白のブログ更新はtwitterからなされているようだとの指摘を受け、twitterへの不正ログインが何のためになされていたのか、やっとその理由が分かりました。


パスワード変更は面倒なので、いずれも開設以来一度も変更せずにきたのですが、すぐさまパスワードを変更し、ブログとtwitterを自動的に連動させていた設定も解除しました。以降は、不正ログインも空白のブログ更新も発生していません。twitterからの連絡によると、不正ログインは2度とも福岡市博多区からなされているとのことでしたが、博多区内には知り合いはいませんので、見知らぬ誰かが嫌がらせをしていたようです。どこの誰か教えていただけないかとtwitterに問い合わせましたが、これには返信はありません。



では、本題です。4月17日、諫早湾干拓の潮受け堤防排水門開門差し止めを求めて、営農者らが国を提訴した裁判の判決が長崎地裁で出されましたが、地裁は農地に甚大な被害が出るとの理由で差し止めを命じました。この裁判の前段として、漁業者側が起こした裁判で、2010年12月、開門をkodomo-bb3s.gif命じる福岡高裁の判決が出ましたが、この判決に対して、時の菅直人総理が野党時代に反対していたことから、控訴しないことを決断、福岡高裁の判決が確定しました。翌2011年4月、営農者らが国に対して開門差し止めの訴訟を提起したものの、国は開門の必要性について全く主張せず、当然のことながら原告営農者側の全面勝利の判決となりましたが、25日、国は控訴しないことを表明し、あらためて開門しない方針を明確に示しました。


諫早湾干拓事業をめぐっては漁業、農業双方から裁判が起こされ、相反する判決が出されるという異常な事態になっていますが、時事ドットコムの諫早湾干拓訴訟をめぐる動きには、干拓事業と訴訟との関係が、工事開始から現在にまで至る時系列に沿って簡潔にまとめられています。問題は、この事業が我々国民にとって真に有益なものであるのかどうかという点にあります。この事業には巨額な税金が投入されていますが、これらの費用については朝日新聞WEB201746先見えぬ諫早干拓事業、続く税金投入 閉め切り20年に分かりやすく図表化されたものが出ていましたので、これを参照しました。


記事によりますと、同干拓事業の総額は2530億円、消えた干潟1550ヘクタール、売却額50億円。今後も発生し続ける費用は、有明海再生事業498億円(予算ベース)、調整池水質改善352億円(決算ベース)、漁業補償7億6500万円=857億6500万円ですが、この857億6500万円は、現時点での金額ですので、今後はさらに増加しつづけることになるわけです。


調整池とは、諫早湾の深奥部を潮受け堤防(ギロチン)で締め切って造られたものですが、流れを遮断しているので、池の水質汚染が昂進、常態化し、絶えず水質改善策を講じざるをえない状況です。(参照:諫早湾開門ほんとうに大丈夫なの?WWFジャパン)その調整池水質改善には長崎県も費用の一部は出しているようですが、長崎県には国からの交付金などが入っているはずですし、干拓工事完了後も、農地維持のために巨額の税金が投入されていることは紛れもない事実です。この事実は干拓事業には何ら正当性のないことを証明していますが、我々国民はもとより、農業当事者自身もこの事実を直視すべきです。本来ならば、農地維持費用は一般農業者同様に、農業者自身が負担すべきではないですか。しかしその額が巨額ゆえに、農業者自身が負担することは不可能であることから延々と税金が投入され続けているわけです。諫早湾干拓事業の現在の姿は、日本では公共事業にいかに杜撰に巨額の税金が垂れ流し的に投入されているかを象徴していますが、さらに問題なのは、この干拓事業で何が失われたのかということです。


失われたものは、いうまでもなくかつては宝の海と呼ばれていた豊饒な有明の海です。漁業被害では、ノリ養殖がその筆頭事例として挙げられますが、西日本新聞によると、有明海西部(調整池に近い海域)でのノリ養殖は、調整池から流入しつづける汚染水の影響をもろに受け、今なお壊滅的な打撃を受けているそうですが、反対側の東部でのノリ養殖は近年は豊作が続いているという。と聞けば、干拓事業の悪影響は有明海全域にまでは及んでいないのかのような印象を受けるかもしれませんが、有明の漁業はノリ養殖だけではありません。


葦書房刊の中尾勘吾写真集『有明海の漁』(1989年刊、15345+税)は、干拓事業による埋め立てが始まる前の有明海を詳細に記録した写真集です。中尾氏は長崎県在住の登山家、写真家ですが、高校の教師をしながら、干拓で消滅するかもしれない有明海を記録しておきたいとの思いから写真を撮り始め、7年かけて有明海全域を回って写真に収められ、それをまとめたのが本写真集です。しかし有明海の全貌をとらえるにはさらに時間が必要だと、中尾氏は「あとがきに」に記されています。有明海はそれほどに奥深い世界だということですが、本写真集には、有明海の漁と人々との暮らしの在りようとの、有機的につながりが重層的に映し出されており、見る者にも有明海が育んできた世界の豊饒さが十分に伝わってきます。


中尾氏は本写真集刊行のぎりぎりまで撮影を続けておられたようですので、198612月の干拓事業の工事着工時前後までの有明海の姿が記録されていることになりますが、おそらく干拓事業前の有明海の記録としては、他に類書、類例はないはずです。干拓事業による漁業被害については、干拓事業前の漁についての記録が乏しいことが、被害の証明を難しくしているとの記事が西日本新聞に出ていましたので、その意味でも本写真集の貴重さがお分かりいただけるかと思います。本写真集には、漁船上や水揚げされたばかりの、漁の現場で撮影された多種多様な魚介類の写真が収められていますので、裁判でも生の証拠となりうるものばかりです。


有明海といえば、ムツゴロウやタイラギ、シャミセンガイ、ワラスボ、アブッテカモ、エツなど有明海や潟特有の魚介類が有名ですが、こうした魚介類はもとより、一般的なタイやヒラメやカレイや車エビやタコ、イカ、スズキ、カワハギ、コノシロ、フグ、タチウオ、サワラ、ウナギ、シャコ、ハゼ、カザミ(カニ)、アサリなども獲れていたという。写真集には64種の魚介類が紹介されていますが、おそらく現在、有明海からはこうした魚介類はほとんど姿を消しているのではないか。有明海ではさらにノリ養殖のほかに、昆布やわかめの養殖もなされていることが紹介されていますが、おそらく昆布やわめの養殖は消滅させられたのではないか。干拓事業による漁業被害は、ノリ養殖だけではなく、干拓事業前には、事実として収獲されていた多種多様な魚介類の存在の有無をとおしても明らかにすべきではないか。


写真集には、干拓事業が始まる前からも、有明海の漁は様々な障害を受け、魚種によっては漁獲量が徐々に減少している状況も記録されていますが、そうした状況下でも、固有種以外にも非常に多種多様な魚介類が収獲され、漁業者の暮らしを支えていることが写真からも伝わってきます。漁によって人々の暮らしが支えられているということは、豊漁を祈り、豊漁に感謝する様々な祭りや風習、習俗等が代々受け継がれ、地域に根差す文化として人々の暮らしを豊かに彩ってきていることも、写真集は雄弁に語っています。


しかし有明海の漁が衰微した現在、こうした祭りや風習も一部では消滅させられてしまっているのではないか。とするならば、有明海沿岸で暮らす人々が受けた被害は、漁業被害だけで算出されるものではなく、それ以上の甚大なものになるはずです。この干拓事業の最大の問題は、漁業者が受けた甚大な被害が、その犠牲に耐えうる事業の結果によるものではないという点にあります。干拓事業の目的は当初予定より転々と変わり、最終的には農業用地利用に行き着きましたが、漁業を犠牲にしてまで農地のために干拓する必然性は皆無です。干拓地は当初の予定では農業者に直接売却するはずでしたが、希望者が少なく、長崎県が設置した農業公社が50億円で買い取り、農業者に貸し出すという方式になったらしい。おそらくタダ同然で貸し出しているのではないか。干拓事業のみならず、農地運用にも税金投入です。その上、調整池には半永久的に水質改善のために税金を投入せざるをえません。これほど無意味な税金の無駄使いはあるでしょうか。


調整池の水質改善も有明海の再生も、海と海に棲む生き物たちが担ってきた自然の治癒力を回復させ、その力を最大限活用する方策を探る以外には根本的な解決策はないはずです。以下は、西日本新聞の記事「有明海は今」を参照したものです。アサリなどの二枚貝は、プランクトンを食べ、きれいな海水を吐くことから海の「浄化器」と呼ばれているそうですが、中でもタイラギの浄化力は群を抜いており、有明海最大の「ろ過装置」とまで呼ばれているそうです。西海区水産研究所によれば「最盛期の年間漁獲量の3万6000トンのタイラギが生息すれば、有明海の3割に当たる湾奥部を6日間で浄化できる」という。湾奥部とは潮受け堤防で締め切った調整池のことですが、自然の治癒力のもつ凄さが伝わってきます。調整池と有明海の浄化のために、これまで850億円もの巨額の税金が投入されたものの事態は全く改善せず、今後も税金を延々と投入せざるをえないわけです。この事業がいかに正当性を欠いたものであるかを、あらためて認識せざるをえません。


こういう事業を強行してきた政治家と官僚は、この惨憺たる現実を直視するならば、のうのうと税金で生活してきたことを恥じて、この世から姿を消さざるをえなくなるはずですが、彼らには恥の意識はひとかけらもなく、今後もこの干拓地に巨額の税金を投入しつづけるつもりらしい。長崎県産の農産物が福岡にも大量に流入してきていますが、他の農業者並みに農地維持費用を自己負担していたならば、非常に高額な価格にせざるをえないはずです。開門に反対するのであれば、有明海の再生費用とまではいいませんが、少なくとも農業用地のために造られた調整池の浄化費用は農業者自身が負担すべきではありませんか。国が全ての責任を持つとの約束で入植してきたのであれば、我々国民は国に対して、不当な税金浪費の差し止め請求並びに損害賠償請求をすべきではないかと思います。


膨れ上がる一方の日本の負債は、増大しつづける社会保障費が大きく影響しているとはいえ、公共事業の垂れ流し的浪費も負債増の要因の一つのはずです。公共事業の縮減を敢行した小泉政権時代や、自公政権の公共事業重視策を批判して「モノから人へ」策を推進した民主党政権時代の、惨憺たる結果を見れば、公共事業そのものの否定は我々の生活基盤の弱体化につながることも実体験済みですが、ただ目先の経済浮揚策としてのバラまき的公共事業の横行は、生活基盤の強化にはつながらないどころか、破壊するための税金浪費にしかすぎない事例も多発します。諫早湾干拓事業はまさにその典型例です。農水産省は、昨今の逼迫する物流事情を受けて、長崎県の農業者には格別に配送の支援までしています。干拓地の農業が失敗すれば、干拓事業そのものの失敗が白日の下にさらされるのを恐れて、ここの農業者のみを格別に支援しているのでしょう。保身のためには、税金の浪費も厭わず。


東日本大震災や熊本地震災害で、公共事業は突出して増加せざるをえない事態がつづいていますが、東京五輪も加わり、公共事業はさらに増大しています。そうした中で、震災2年目を迎えた今年の4月には、熊本地震の復興事業には、入札不調事例が昨年の15倍にまで達しているという事実が明らかになりました。入札不調の大半、8割以上には、1社の応札もなかったという。安いので請け負い手がいなかったわけですが、その一方で、干拓事業には垂れ流し的に税金が投入されつづけている理不尽さ。さらに加えて、大阪府が万博開催に名乗りを挙げ、政府も全面的に協力する姿勢を表明しています。もしも大阪府で万博開催が決まるならば、新たな公共事業が発生します。被災地に回るべき資材も人手も高騰し、復興事業は頓挫状態がつづくのではないか。


ここでNHKラジオで聞いた、公共事業に関するエピソードを紹介します。わたしの記憶にもないので、かなり昔の話だと思いますが、イギリスのロンドンで大火が発生した時の話です。被災地ロンドンの復興に際して、復興事業を優先させるために他の公共事業は3年間停止させ、カネも人も復興事業に集中的に投入して、短期のうちに見事に復興を果たしたという。以前に紹介したロンドン五輪後の施設を貧困層のための住宅に転用した話といい、ロンドン大火被害からの復興事業といい、こうした公共性は日本政治にはもっとも欠けているものではないか。


また何度か取り上げているドイツとの対比からも、日本政治の同様の欠損が見えてきます。日独は共に、敗戦国として戦後をスタートし、工業立国として世界に冠たる地位を築いてきましたが、その内実には大きな違いがあります。ドイツは冷戦終結の流れを受けて、東西ドイツ統合という、国家的規模での巨額の不良債権を抱えたものの、大学まで教育は無料、医療も無料という高度な社会保障体制を現在まで維持しつづけてきました。しかも国の借金はゼロかゼロに近い。日本との違いは余りにも大きすぎます。日独では、税金の使われ方が根本的に異なっていることは明白です。

必見!


タイ

仏の国の輝き


九国博



今の日本でドイツの真似をすることは不可能ですが、仮にドイツに倣うとしたならば、さらに巨額の負債を加速度的に増大させる結果になるだけです。今、我々がなしうることは、なぜ日独の間にはこれほどの差が生じてしまったのか、その背景を探ることだろうと思います。この差は何に起因するものなのか。日英間でも違いが明らかになった公共性に対する認識において、日独間でも根本的な違いがあったのではないか。諫早湾干拓事業という公共事業は、日本の公共事業の非公共性、というよりも反公共性を如実に象徴しています。日独は共に戦後をゼロからスタートしたにもかかわらず、日独の間にはなぜこれほどの違いが生じてしまったのか。諫早湾干拓事業は、その答えの一つになるはずです。


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2017年04月30日

東芝問題の深層

諫早湾干拓の潮受け堤防排水門開門差し止め裁判をめぐり、25日、国は控訴しないこと、つまり開門しない方針を明確に示しました。漁民切り捨ての長崎地裁の判決につづき、国によるこの反国民的な決定には怒りを覚えますが、少し資料を調べる必要があり、この問題は次回に取り上げることにしまして、今回は東芝問題の深層に迫りたいと思います。


東芝は子会社ウエスティングハウス(WH)が抱える、7000億円かそれ以上ともいわれる巨額損失を受け、存亡の危機に直面していますが、その危kodomo-bb3s.gif機を成長部門である半導体事業を分社化し、売却することで乗り切ろうとしています。東芝の半導体事業売却には、主に海外からの買い手が殺到していますが、ここにきて急に、経産省をはじめ経済革新機構や政策投資銀行などの公的機関が救済に乗り出しています。理由は、半導体技術の海外流出を阻止するためだという。


 しかし、日経の経済テクノロジーWEB版(2017/4/26)に掲載されていた服部毅氏の「東芝のメモリー技術、すでに自らの手で海外流出させている」によれば、東芝は、すでに25年も前(1992年)から韓国のサムスンに無償で半導体技術を供与してきたという。のみならず、東芝はその後も韓国のSK Hynix

(ハイニクス)社と次世代半導体メモリーの共同開発に乗り出し、今現在も多数の東芝の技術者が韓国に出向しているという。つまり東芝は自ら進んで、合法的に自社の技術の海外流出を進めているわけです。何を今さら、技術の海外流出阻止なのか!しかも驚いたことには、東芝がHynix社とメモリーの共同開発に乗り出す前に、東芝と提携関係にあったアメリカのSanDisk社の社員が東と芝の半導体技術を無断で盗み出し、Hynix社に持ち込んでいたという。東芝と提携し、半導体売却で東芝と争っているWD社はSanDisk社を買収して一体化していますので、WD社には東芝を批判する資格はない!と言いたい。


日本人社員でも札びらに膝を屈し、自社の技術を韓国のライバル企業に差し出す例もありますが、その危険性は日本人社員だけではないということです。時によっては、日本企業には何の愛着も感じていない他国の関係者ならば、危険性はさらに高まるのではないか。しかし東芝の場合は、こういう経緯がありながらも、自ら進んで韓国企業と手を組もうという志向が非常に強い。数年前には、サムスンと提携して、コンピュータの新しいOSの開発に乗り出しましたが、実現せぬまま、失敗に終わっています。おそらくこの事業でも、OSの開発には失敗したものの、東芝の技術と技術者はサムスンに流れたはずです。日本には、坂村健氏が世界に先駆けて開発したOSTRONがあるというのに、なぜわざわざ韓国企業と新しくOS開発に乗り出す必要があるのでしょうか。愚かとしか言いようがありません。


サムスンとの共同開発に失敗したからか、東芝は今度は、坂村氏の提唱するIoTに関する新技術に参入するらしい。(IT Leaders 2016/5/6 杉田悟氏TRONの坂村氏が主導するIoTの新たなプロジェクトが始動)昨年のことなので、このプロジェクトに参加している東芝マイクロエレクトロニクスは売却の対象になっているのかどうか。どうやらこの技術は半導体メモリーではなく、システム開発的なもののようなので、売却対象ではないかもしれませんが、おそらく東芝がこの新技術を製品化すると、その成果はまたもや韓国企業に流れることになるはずです。というのは、先に紹介しました服部氏の記事によると、東芝は、今後新型メモリーは韓国で製造を行うことにしているからです。この「東芝」は、公的資金で救済される予定の東芝ということなのか。とするならば、政府主導による、非常に恐ろしい売国的事態となるわけですが、この辺の事情は不分明ゆえに、疑問提示にのみとどめておきますが、東芝は今後も韓国企業と密に関係を持続させるということだけは明らかなようです。共同開発とは、日本企業から韓国企業への無償の技術移転と同義であり、両者の密な関係は特定部門にのみとどまるものではないことはいうまでもありません。


なお服部氏は、公的資金による東芝救済は愚策だと批判しておられます。おそらく当事者以外の誰もが愚策だと思うはずですが、政府も当初は公的資金による東芝救済を否定していました。にもかかわらず、なぜ救済に急転回したのでしょうか。この謎を解くカギも韓国にあり。


実は、東芝による、巨額な不良債権の塊であるアメリカ原発企業WH社の買収も、韓国企業が陰に陽に絡んでいるのではないかというのがわたしの見立てです。東芝はWH社の米国版民事再生法を申請するにあたり、東芝と技術協力関係にある韓国電力に支援を要請したことが大々的に報じられました。技術関係にあるということは、東芝は原発分野でも自社社員を韓国に出向させ、技術協力をしてきたということですが、韓国が受注したアラブ首長国連邦での原発建設でも、東芝はひそかに技術支援をつづけたはずです。


つまり東芝は、半導体、IT関連事業のみならず、原発分野でも韓国(国家及び企業)と非常に親密な関係を結んできたことが、この支援要請報道で広く知れ渡りました。東芝に対する公的支援策が突如浮上したのは、この報道後のことでした。日本政府のこの急変は、アメリカ政府からの圧力(働きかけ)があったからだとの専門家の指摘もありますが、むしろ逆ではないかと、わたしは推測しています。


底なし沼のように負債が膨らんでいきそうなWH社をどう処理すべきか。米国版民事再生法を申請して、仮に民事再生が可能となったとしても、そのWH社を誰が、どこが引き受けるかが問題です。申請した東芝が引き受けるのが筋でしょうが、東芝の本心は手放したいはずです。しかし引き受け手はどこにも存在しない。民事再生を経て、不良債権の塊のようなWH社も、再生前よりは身軽にはなるはずです。そこでかねてより技術支援をつづけてきた韓国に呼び掛けたということだと思われます。韓国は自力では原発建設ができないにもかかわらず、原発の海外輸出には積極的であり、韓国電力自身もWH社に関心をもっていたということらしいので、WH社の引き受け手としては最適ではないか。


WH社は韓国の原発第一号を建設した記念すべき企業であり、もともと両者の関係は深い。日本では三菱電機がWH社の原子炉を使っており、東芝と同時にWH社の買収に名乗りを挙げたそうですが、東芝が三菱の倍の買収額を提示したことで、三菱は買収を断念したという。三菱は、東芝が自社の2倍もの金額を提示したことに非常に驚いたそうですが、おそらく韓国電力は、自分のところでも買いたいなどと言って、東芝を煽り立てたのではないか。


東芝は巨額の金を積んでまでわざわざ自ら進んでババを抜いたわけですが、今度はそのババをどこに回すか。韓国なら、原発技術の外部流出を心配しているアメリカ政府をも納得させられます。


この事実を知った日本政府(安倍政権)は、韓国電力がWH社を引き受けてくれるなら、これ以上の解決策はないとばかり、それまでの姿勢を転換したのではないか。ただ、ババ抜きのババのようなWH社を引き受けるとなると、韓国は東芝や日本政府に対して厳しい交換条件を示すでしょう。東芝救済に、突如として公的機関が関与し始めたのはその結果によるものではないか。民間ベースで進んでいた半導体事業の売却に、民間資金も含むとはいえ、税金も投入し、技術の海外流出を阻止するという名目で公的機関が強く関与し、公的機関が売却先を決定しようとしています。


しかし半導体技術の海外流出阻止は、全く無意味であることは服部氏の指摘するとおりです。服部氏によれば、半導体事業は毎年数千億円の設備投資をしなければ生き残ることができないほど、技術の変化が非常に激しいという。毎年数千億円もの設備投資が可能な企業は、市場占有率の非常に高い企業以外には不可能です。東芝の半導体技術がいかに優れているにしても、持続的に数千億円もの設備投資をつづけることは不可能です。また、公的機関が東芝救済で一時的に資金を投入しても、持続的な資金の投入は不可能です。となれば、一時的に投じた資金も無駄になるだけ。素人にはなぜこれほど巨額の設備投資が継続的に、半導体事業には必要になるのかは分かりませんが、半導体では市場の占有率の低い日本企業には、ほとんど不可能ではないかと思われます。


アメリカの調査会社が発表した、最新(2016年)の半導体ランキングは以下のとおりです。

1       Intel  

2       Samsung Electronics    

3       Qualcomm       

4       Broadcom Limited       

5       SK Hynix       

6       Micron Technology      

7       Texas Instruments      

8       東芝   

9       NXP    

10      MediaTek


韓国は2位のサムスン、5の位ハイにクスの2社。サムスンは、日本政府による韓国への技術移転の要請を受け入れたシャープや東芝から無償の技術提供を受けて、日米半導体戦争下(90年代前後)で、日本の半導体メーカが輸出制限を受けていた渦中に一気に市場占有率をアップ、その後も世界市場上位を維持。ハイニクスは今も東芝からの支援を受けているものの、東芝より上位にあり。今後もこの上下関係は変わらないはず。その上東芝は、新型メモリーは韓国で製造するらしいので、この差はさらに開くのではないか。


なお6位のマイクロンは、日本のエルピーダメモリー(日立とNEC半導体事業の合併企業)の破綻後、同社を買収したアメリカの企業。また上掲10位のうち、台湾、オランダの各1社を除いた残りは全てアメリカ企業。つまり、やや意外なことには、中国で製造している企業も含むとはいえ、アメリカ企業が世界の半導体市場の過半を占めていることになります。


なお、新分野である車載半導体ランキング10位には、韓国企業は1社も登場しておらず、オランダ(1位)、ドイツ(2位)、日本(3位、9位、10位の3社)、アメリカが並んでいます。車載用半導体では、今のところ、韓国企業に技術供与する日本企業はいない模様。つまり車載分野では、日本政府による韓国への技術供与要請は行われていないということです。


以上のような市場占有率の状況からするならば、政治的な判断で東芝に公的資金を投入することは、ほとんど無意味だということです。にもかかわらず、WH社処理のために韓国の言いなりになるならば、再び失われた20年、30年という大ダメージを日本経済に与えることになるはずです。韓国の言いなりになってきたかつての歴代自民党政権の韓国奉仕の結果、半導体市場で韓国企業が独占的に市場を占有する至ったわけです。その上韓国政府は、日本の献身的な奉仕については国民には一切知らさずに隠蔽してきたという過去の経験を踏まえるならば、いかなる事情にせよ、韓国に奉仕的に関与すべきではありません。おそらく東芝の半導体の売却先も、韓国企業のライバル潰しを意図したものではないか。新型メモリーを韓国で製造するという東芝を、なぜ公的資金を投じて救済するのでしょう。なお民主党政権下では、自民党や自公政権下以上の韓国奉仕がなされています。


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2017年04月22日

生前退位をめぐって

天皇陛下の退位をめぐる有識者会議の最終報告書が発表されました。退位後の制度設計についての提言をまとめたもので、この最終報告書が出される前に政府がまとめた特例法の骨子案のような、与野党対立を招きかねない大きな問題点は含んでいないようです。安倍政権はこの最終報告書も踏まえつつ、陛下の退位実現のための法案を早期に国会に提出する意向のようですが、波乱なく法案成立に至るかどうかは、予断は許しません。


衆参両院の正副議長のもとで進められてきた国会での与野党審議を受けて、政府がまとめた特例法の骨子案に対しては、与野党合意を無視したものだとkodomo-bb3s.gifの批判が出ています。今上陛下一代限りの特例法で対応したいとする与党と、憲法の規定どおり皇室典範を改正して恒久法とすべきだとする民進党などの野党との間には、埋めがたい溝がありましたが、この溝を埋めるべく、皇室典範に退位条項を付則として書き込むことで双方が合意しました。しかし骨子案ではこれが削除された上に、今上天皇一代限りの特例法であることと明示するために、法案名の「天皇」を「天皇陛下」に変更したという。


政府の骨子案では、与野党合意を無視した内容に変えられたのは事実のようですが、骨子案を野党各会派に提示して検討を仰いでいますので、批判を受けてまとめられる最終的な政府案は、合意に近い内容に変更される可能性もゼロではありません。しかしあえて合意案を無視した骨子案を野党に示した安倍政権の姿勢からは、批判は百も承知の上であったともうかがわれますので、陛下一代限りという基本線は譲らないだろうとも思われます。目下、安倍政権は問題百出ですが、この退位をめぐる問題は今後の国のあり方に根本的な影響を及ぼす重大事ですので、国会任せにせずに、日本国民全体で考え、論議を深化させる必要があると思います。


この問題の究極の論点は、古代からつづく、世界に類のない伝統を保持する天皇制をいかにして維持していくのか、この一点にあると思います。安倍政権というよりも安倍総理が陛下一代限りの特例法にこだわるのも、この世界に稀有な伝統的な天皇制を守りたいとの一心から出たものだと思われます。加えて皇族数の減少という厳しい現実もあります。皇族数が減少する中で生前退位の制度が恒久化されるならば、天皇制そのものの消滅という事態にまで至る可能性もゼロではありません。民進党などはそれを避けるために、女性天皇制ないしは女性宮家の創設を主張しています。中でも、もっとも実現可能性の高い女性宮家の創設を、退位の制度化とセットで提案していました。


女性宮家の創設は、女性天皇をも想定したものだと思われますが、これほど重大な問題を、急を要する陛下の退位問題とからめて提案してくる民進党の軽率さにはあきれています。退位の恒久的な制度化は皇族数の減少への対策なしには成り立ちませんので、民進党も女性宮家の創設をセットで提案せざるをえなかったのでしょうが、この問題の究極の論点に立ち返るべきではないかと思います。


日本の長い歴史の中では、女性天皇が在位した時代のあったことは事実ですが、この歴史的事実を根拠に、現代においても女性天皇の誕生は日本の天皇

制の伝統を損なうものではないとの議論も根強くつづいています。四民平等の民主主義の現代においては、男性の宮様も女性の宮様も民間からお相手を選ばざるをえません。女性宮家が創設されると、お相手の夫君となられた男性も皇籍に入られ、皇族の一員となられます。仮にその女性宮様が女性天皇になられた場合、その夫君は皇后様のような立場に置かれるわけですが、皇后様のようなお役目を務めることが可能なのかどうかは非常に疑問です。


古代と現代との最大の違いは、古代ないしは明治以前には明確な身分制度があったのに対し、現代では皇族を除けば全て平民です。身分制度のもとで古代では、一部の有力貴族とはいえ、貴族と皇族の婚姻も一般的に行われていましたし、臣籍降下という皇族から臣下(貴族)に降下する例も多数あり、貴族と皇族との垣根は非常に低い。天皇と臣下という身分上の違いはあったとはいえ、日常的に交流している天皇(皇族)と貴族の世界観には、そう大きな落差はなかったものと思われます。


一方、ごく少数の皇族と平民(民間人・一般国民)以外には存在しない現代では、両者の落差は非常に大きい。しかも現代の天皇は政治の実権は持たず(世俗からは離れ)、日本国民統合の象徴というお役目を負っておられます。象徴という抽象的なことばで表現されているお役目を、実際的な行動として果たされるのは、やはり大変なことだと思われます。天皇は負担になるようなお仕事はせずに、存在するだけでいいとの極端な意見もありますが、確かに天皇には存在するだけで象徴たりうる側面もあると思います。こうした天皇の存在感は何に由来するのかといえば、憲法や法律では表現しがたい、古代からつづく天皇家の長い伝統によるものではないかと思います。


この伝統は男性皇族のみならず女性皇族方にも受け継がれていることはいうまでもないと思われますが、女性の宮様と結婚されて民間から皇籍に入られた男性が、国民の敬意を受けるべく皇族としての資質を身につけていく道筋はあるのでしょうか。その場合、夫君である民間人男性が女性皇族に従うという関係にならざるをえませんが、男女同権どころか、女性上位すら珍しくはない現代とはいえ、こうした夫婦関係が永続しうるものなのかどうか、非常に疑問を感じざるをえません。皇族という非常に特殊な世界のこととはいえ、夫である男性の意向が強く働くことになるのではないかと思います。当然のことながら、皇室の伝統に大きな変化が生じる可能性は高くなります。


女性天皇を考える場合、身分制度下にあった過去の時代と、四民平等下で一握りの皇族と平民(一般国民)しかいない現代とでは、その結果の及ぼす影響は天と地ほどの違いが生じる可能性のあることも考慮すべきだということです。皇族数の減少は、緊急に対策を考えるべき国民的課題ではありますが、陛下の退位問題に絡めて、拙速に女性天皇や女系天皇を可能にするような案を提出すべきではありません。緊急性を帯びながらも慎重に検討を重ね、安定的な皇位継承が可能となるような対策を考えるべきだと思います。また生前退位は、識者の指摘にもあるように、天皇の政治利用を招きかねない危険性をはらんでいることにも留意していただきたい。

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2017年04月15日

博多駅前陥没事故と歴史

昨年11月に、博多駅近くで発生した地下鉄七隈線延伸工事に伴う大陥没事故は、日本中に衝撃を与えました。その一週間後には巨大な穴が塞がったばかりか、道路の舗装まで終わり、急
ピッチで進められた復旧作業には国内はもとより、海外からも称賛の声が寄せられていました。日本人としては誇らしく思う気持ちもなくはありませんが、実はこの大事故は、近年日本で進む、日本の歴史を軽んじる風潮によって生み出されたものだといっても過言ではありません。 


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しかもこの地下鉄延伸工事に関連した陥没事故は、2000年6月中央区薬院)と2014年10月(博多区祇園町)にも発生しており、今回は3度目。今回の陥没はけた外れに巨大ですが、いずれの陥没事故も、福岡市の歴史の基本を知っていれば、陥没事故は発生していないと断言いたします。その基本とは、これらの陥没事故が発生した地域は、かつては海ないしは海岸に接していた地域であったということです。


日本各地に古地図が多数残されていますが、福岡博多にも多数の古地図が残されており、天神地域や博多周辺の現在の繁華街は、かつては海であったことが記されています。その変貌を非常に分かりやすく解説したサイト、Y氏(山田孝之)の「福岡路上遺産」 800年前、鎌倉時代の福岡市周辺の様子はどんな感じ?をご覧になると、瞬時に理解できるはずです。


貝原益軒は「筑前国続風土記(中村学園大学図書館)に、当時の福岡の地形が分かる詳細な地誌を記録していますが、福岡古地図多数webに公開されています。住吉神社がかつては海に囲まれていたのには驚きますが、上記の古地図では即座の理解は難しそうですので、現在の博多周辺の地形と比較したY氏のサイトをご覧ください。


webには今回陥没事故を起こした工事に際して参照したらしい、一体の地質の特性を記した資料も公開されていますが、その特性表記は非常に抽象的であり、工事区間一帯がかつては海であり、土壌は非常に軟弱であるとの判断を的確になしうる内容ではないと、素人ながら判断せざるをえません。天神界隈も福岡城あたりまでかつては海であったという。地下鉄七隈線延伸工事は、かつては広大な海域であった区間の、砂だらけの地底を掘削することになります。


博多に関する基礎的な歴史を知っていたならば、こんな砂だらけの軟弱な地底を掘削してまで地下鉄を延伸する必要はあるのかという、根本的な論議が起こるはずですが、論議になったのは、コストカットに適した工法をめぐるものであったという。今回の陥没事故を起こした工区で福岡市が採用したのは、最も安上がりのナトム工法という硬い地盤に適した工法であったという。高島市長はもとより、この延伸事業に関係した福岡市の職員の誰一人として、福岡市の歴史の基本すら知らなかったことを物語る選択です。福岡市の職員が企業や専門家委員にこの事実を伝えないならば、いったい誰が伝えるのですか。


専門家委員は、福岡市の地形や地質の歴史的な変遷については知らなかったようですが、地質の状態から工事の続行は危険であるとの警告を繰り返し出していたそうです。にもかかわらず、福岡市はその警告を無視して工事を続行しました。その挙句の大陥没事故です。無知とおごりが招いた大事故です。

                                                                           

しかし不思議なことには、一帯がかつては海であったという事実を指摘した記事や報道は皆無です。地元紙の西日本新聞でさえこの事実を報道していません。文化部には歴史専門の記者がいるはずなのに不思議です。おそらく20年ほど前までならば、新聞記者はもとより市の職員ならば、この程度の福岡市の歴史は、常識の範囲内で誰もが知っていたのではないかと思われます。この常識知としての歴史が我々の生活圏から消されていった結果が、今回の陥没事故を招いたことは明白です


桜づくし展

ある櫻男の物語

桜と歩んだ笹部新太郎


白鹿酒造博物館

(兵庫県西宮市)


日本の歴史、福岡の歴史は韓国が作ったという路線を突っ走る記事が、西日本新聞の大紙面から小紙面を占拠しつづけてきました。貝原益軒までもが、朝鮮通信使に教えを受けたとのねつ造極み発言までもが報じられる始末。我々日本人は、韓国人の目で日本の歴史、福岡の歴史を見ることを強制されつづけてきたわけです。こんな状況下で、いったい誰が地元の歴史をまともに学ぼう、知ろうという気持ちになるでしょうか。それどころか、福岡という地域の特殊性もあるかと思いますが、韓流歴史が我々の生活圏にまでなだれ込んできているのが実情です。


この韓流歴史は、歴史研究の進展を示す成果だとして学習指導要領の改訂にまで影響を及ぼすほどになっていますが、これは
進展ではなく、研究とも呼べない退行、退化現象以外の何物でもありません。自国の歴史を他国に蹂躙されると、いかほどの悪影響をもたらすか、博多駅陥没事故は、その例証の一つだといえるでしょう。


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2017年03月31日

「民主主義の再起動」

1「民主主義の再起動」


「民主主義の再起動」、これはフランスの歴史学者エマニュエル・トッド氏が現下の欧米の動きを語った言葉ですが、ポピュリズムの正体をこれほど簡潔に核心をついて表現しうるのかと、心震えるような思いに襲われています。319日と20日の西日本新聞に「ポピュリズムの正体」と題して掲載された、インタビュー形式による上下2回の連載記事の一つですが、19日には同じフランスの地理学者だというクリストフ・ギリュイ氏の「断層を広げた多文化社会」という、こちらもポピュリズムの正体の核心をついた論評談話が掲載されています。


いずれの記事も共同通信による配信記事のようなので他紙にも掲載されているかもしれませんが、両氏のような、時流におもねることなく、時流の深層に潜む問題をこれほど核心的に分析しうる学者は、日本にはいないのではないか。少なくともマスコミに登場するような学者の中にはいないと断言します。


トランプ大統領の誕生、英のEU離脱、移民排斥を訴える右派の伸張など、昨今顕著になった欧米の動きに対して、その内実についてはほとんど触れず、「ポピュリズム(大衆迎合主義)」の一語で非難し去ることが言論の正当性の証明であるかのような風潮が日本や欧米を覆っています。そうした中、世界的にもその名を知られたエマニュエル・トッド氏が、マスコミや識者にポピュリズムと非難されている現下の事態を「民主主義の再起動」、「民主主義のよみがえり」だと指摘したことは、驚きであると同時に我々に勇気を与えてくれたとさえ感じます。


クリストフ・ギリュイ氏は初めて目にするお名前ですが、大衆層の地理的分布から、欧州諸国には共通する社会的断層の存在することを統計的に明らかにし、グローバル化、多文化社会がもたらしたひずみの大きさに警鐘を鳴らしています。そして両氏はともに、現実を直視せよと訴えています。現実を直視するならば、ポピュリズム批判というパターン化した非知性的な怠惰な批判などできなくなるはずです。


日本では地理学者がその専門的知見をもとに社会問題について発言することなどはまず考えられませんが、それよりも何よりも、日本では国公立大学からは文学部が追放され、地理学科も歴史学科も単独の部門としては、国策として国公立大学からは消滅させられています。九大は改変時文学部を廃止しましたが、数年後文学部という名称は復活させたものの、中身は消滅されたまま。その上、文系学部には文部官僚を中心とした官僚が大量(60人前後も?)に大学に天下りし、学術研究の質が低下する一方です。


韓流ドラマを使った韓国史の講義や韓流レクチャーが大学の正規の授業にまでなっています。韓流の達人と呼ばれているディスクジョッキーを本業としている人物が、複数の私大で韓流エンターテインメントについて教えていることをつい最近知ったばかりでショックを受けています。韓国研究所までは設置していない大学にも韓流は広く浸透しているわけですが、日本の大学では、韓流ファンをせっせと育成してあげているわけです。旧来の学問体系を破壊し、目先の変わった事業や授業に予算を配分するという、愚かな文部行政の産物です。


本号のテーマからはそれてしまいそうなので元に戻しますが、トランプ大統領に関していえば、ほとんど知性の感じられないその粗暴な言動ばかりが目につきますが、アメリカではIT企業を支える人材を移民に依存していることが、トランプ大統領の移民入国禁止策で初めて明らかになりました。これまでも同趣旨の事情についてはしばしば報じられてきましたが、その人材はIT企業を起業したり、IT企業の中核を支える少数のエリートであるかのような印象を与えるものでした。少なくともわたしはそう理解していました。


IT発祥の地であり、その総本山でもあるアメリカでは、IT企業を支える基本的な人材は当然のことながらアメリカ国民であり、基本的人材まで移民に依存せざるをえないほどにIT人材が不足しているとは夢にも考えませんでした。しかし基本的な人材まで移民に頼らざるをえない状況にあることが、移民入国禁止策で暴露されました。わたしは当初、アメリカのIT企業がこぞってトランプ大統領の移民禁止策に反対しているのは、理念的なものに発しているとばかり思っていましたが、そうではなく、人材確保という現実的かつ切実な必要性から出たものであることを知り、アメリカの抱える病巣の深さに愕然といたしました。


わたしはトランプ大統領の誕生を受けて、葦の葉通信21号「アメリカ国民は消耗品」を発信しましたが、この時点では、IT関連産業は、製造業に代わる新産業というよりも、その技術的特性から製造業の上位にすら君臨する新万能産業であり、アメリカ人の若者はもとより、製造業で職を失った労働者層のIT産業への移行策が取られており、アメリカのIT産業の基本はアメリカ人労働者によって支えられているものとばかり思っていました。アメリカはIT技術の生みの親であるばかりか、今現在も世界のIT産業の王者であり、当然のことながら、アメリカ国民に対するIT教育や職業訓練などが日常的に行われているとばかり思っていました。しかしどうもそうではないという事実が明らかになりました。


必要な人材は手っ取り早く移民や海外の優秀な頭脳に依存するという政策が、アメリカの基幹産業であるIT産業にまで及んでいたことが分かりました。職を失い貧困にあえいでいる白人労働者たちには再教育の機会も与えぬまま放置し、手っ取り早く移民や海外の人材に依存するという効率第一主義の政策が、トランプ大統領の誕生を招いたことは明らかです。他国を非難するよりもまず、効率第一主義を国是とするようなアメリカの伝統的な政策が、自らの支持層である貧しい白人労働者を生み出したという事実を、トランプ大統領はとくと考えるべきではないかと思います。


貿易赤字の元凶である中国や日本やドイツを批判し、日本に対してはアメリカ車の輸入割当で貿易格差を解消しようとするのは、商売の道理に反するばかりではなく、アメリカの技術革新意欲を破壊するものでしかないはずです。資本主義経済の最大の特性、利点は、商品を売るためには企業は絶えざるイノベーションを追及せざるをえないという点にあります。トランプ大統領は国家管理のもとで、恫喝的手法を駆使してアメリカ製品を売ろうと考えているのでしょうか。もしそうであるならば、アメリカ製品のさらなる質の低下を招く結果になるだけでしょう。


トランプ大統領の最大の特徴は、その手法はともあれ、自国民の雇用確保に政治家としての命を懸けていることです。これほど自国民の雇用確保を政策の最大課題に掲げている国家の首長は、世界の近代政治史上、他に例はないのではないか。ただその手法が非常に短絡的であるところに問題があります。アメリカでも日本でも最大の製造業は自動車産業ですが、大統領の言いなりにならないからといって、仮に日本の自動車メーカーをアメリカから叩き出したとしても、アメリカの自動車メーカーだけでは雇用一つとってみても、その穴を埋めることは不可能です。トランプ大統領も脅しで言っているだけで実際にはこんな愚かなことはしないとは思われますが、仮に脅しだとしても、アメリカ経済にとってはマイナスでしかないはずです。


トランプ大統領が移民入国禁止策を進める中で、ITなどの高度な技術をもった人材に特例的に認められていた入国許可まで停止しましたが、これはIT業界の猛反発を招きました。猛反発は当然です。トランプ大統領はIT企業に対しても、移民ではなくアメリカ人を雇用せよと要求していましたが、大統領のなすべきは、IT企業の戦力となりうるような人材育成に着手することではないかと思います。


もしも大統領が、IT企業の大半は、民主党、クリントン陣営の支持者なので政治的な反発からIT企業つぶしに動いたのであれば、アメリカ最強の産業にダメージを与えることになり、元も子もない状態になりかねません。大統領の嫌がらせぐらいでつぶれるほどやわな企業は皆無だとは思いますが、大統領(国の首長)が私的感情で政策を進めるならば、その国は衰退を免れず、それこそ元も子もない結果を招くだけでしょう。


雇用確保は、日本や他国の企業を叩いて実現できるものではありません。例えば貧困にあえぐアメリカ人労働者にも、新産業の担い手となりえるような再教育の機会を与え、日本やドイツや中国企業と競争しうるような基盤を構築することで、雇用の機会を創出することです。それこそが、大統領や政治家の仕事ではないでしょうか。その際、自由な競争こそが、資本主義経済が要請するイノベーションを可能にする環境であることも強調しておきたい。


ただ自由な競争とは、グローバリズムと同義語ではないことも強調しておきたい。エマニュエル・トッド氏は、保護主義と自給自足経済とは別物であり、「国内市場を守りつつ必要な貿易を行う保護主義貿易への移行は、国家間交渉で可能だ」とも指摘しています。またトッド氏は、ギリシャは「自由貿易の極点となった」EUの植民地だとまで語っています。ギリシャはEUの植民地であるとは、ギョッとするほどに凄まじい表現ですが、日本からは地理的に離れている上に、日本のマスコミの大半が、グローバル化の典型的モデルであるEUのマイナス面についてはほとんど報道しないという事情もあり、「ギリシャはEUの植民地だ」という一文の衝撃度は非常に大きい。しかしEUの植民地はギリシャだけではなさそうです。さらにトッド氏は、「フランスの有権者も大統領が何ら権力を持たず、国を導くのは(EUの盟主)ドイツであることを無意識に承知している」と続けているからです。フランスですらこうですから、あとは推して知るべし。


しかしにもかかわらず、EUの植民地から独立しようという国々は出てきそうでなかなか出ない。イギリスが初めてですが、その衝撃は今なお尾を引いています。なぜなのか。エマニュエル・トッド氏によれば、ポピュリズムと呼ばれる事態の背景には教育格差があり、高学歴者はグローバリズムの恩恵を受けているが、低学歴者は閉塞的状況に追いやられていると指摘しています。高学歴者がすべてグローバリズムの恩恵を受けているわけではなく、グローバル企業などに就職することができた一部の高学歴者のみが恩恵を受けており、大卒者はもとより大学院卒者でも、「プアホワイト」的な生活を余儀なくされている人々が存在するというのが、日本の状況からも推測しうる現実ではないかと思います。


トッド氏は、先進国では高学歴者が大集団になったと指摘していますが、この指摘の意味するところは重要です。なぜなら、グローバリズムがもたらした格差問題は、世界的に喧伝されているような1%の超富裕層と残り99%の対立ではなく、高学歴層を基盤にしたあるボリュームをもったエリート層と貧困層の対立だということです。1%と99%の対立では社会の維持は不可能ですが、1%の超富裕層を含めた高学歴層を基盤にしたエリート層(国よって異なりますが、30%前後ぐらい?)がグローバルリズムの恩恵を受け、その流れを支持してきた結果、EUを含めたグローバル経済は今日まで維持されてきたわけですが、この流れから排除されてきた人々の我慢の限界が極点に達したというのが、今現在の状況だと思われます。


トッド氏もギリュイ氏も、トランプ大統領やフランスのルペン氏率いる極右政党FNは支持しないとしつつも、知識人やエリート層(グローバリストと呼びたい人々)の視野にも入ることのなかったモノ言わぬ大衆の下した診断には真剣に耳を傾けるべきだと訴えています。トランプ大統領は、政治家はもとより、知識人やマスコミからも見捨てられてきた貧困にあえぐ白人労働者たちに目を向けた初めての大統領候補であり、その支持を受けて大統領になった初めての人物(政治家と言いたいところですが、そうではないところもユニークといえばユニーク)ではないかと思われます。しかしその政策は、繰り返しになりますが、きわめて近視眼的です。


トランプ大統領は、雇用確保のためだとして環境規制を緩和しました。共和党の伝統的政策なのか、元ブッシュ大統領も同様の政策を実施しましたが、これはむしろ雇用削減策ではないか。雇用増にはアメリカ国外でも売れるような高品質の製品開発は不可欠ですが、トランプ氏は逆にmade in Americaは低品質を目指せと言っているようなものです。石油やガソリンをどんどん消費して、燃費の悪い、環境に負荷をかけるようなアメリカ製品をいったい誰が買うでしょうか。同様の政策を実施した元ブッシュ大統領下では、技術革新を怠った、ガソリンがぶ飲みのアメリカ車は、アメリカ国外では全く売れない状態が続きました。反省もなく、同じような政策を実施しようとするトランプ大統領は、貿易黒字国の日本などに、政治的恫喝力を使ってむりやり買わせようと考えているのでしょうか。そこまですると、いくらおとなしい日本でも反乱が起こるはずです。


この規制緩和に対してアメリカ国内では、石油業界への優遇策だとの批判も出ていますが、元ブッシュ大統領の前例からしても、おそらくその批判は当たっているのだろうと思います。しかし世界中で自然エネルギーの普及が進みつつある現在、石油業界もこうした世界的な潮流を無視しては業界の発展はもとより、存続すらも難しくなるはずです。石油といえども、自然エネルギーに対抗しうる環境負荷を低減しうるような石油製品の開発を目指すべきであり、アメリカ政府をはじめ各国政府は、そうした技術革新への意欲を惹起するような政策を立てるべきではないか。それが難しければ、石油業界の業態転換を促すべきではないですか。日本の石油業界では石油やガソリン需要の減少からか、石油一辺倒からの脱却をさまざまに試みていますが、旧態依然を奨励するようなトランプ大統領の政策は、アメリカ企業にとってもアメリカ国民にとってもマイナスでしかないはずです。


とはいえ、自国民の高い失業率を放置したまま、移民受け入れに狂奔するEU諸国や世界各国の首長たちは、国内外の猛烈なパッシングを受けながらも、自国の失業者や貧困層のために必死で雇用を確保しようとしているトランプ大統領の精神だけは見習うべきではないか。自国の失業者を放置したまま移民を受け入れるよりも、自国の失業者に雇用を確保することの方がはるかに難しい。トランプ大統領はあえてその困難な課題に突進しているわけですが、短絡的、近視眼的な手法では、その課題克服も困難です。ポピュリズムという言葉は大衆蔑視と同義語だともいえそうですが、大衆を蔑視するグローバリストの視点からトランプ大統領の登場や英国のEU離脱問題を見るのではなく、「民主主義の再起動」という視点から事態を検証し直すならば、今後の世界の向かうべき方向も見えてくるかもしれません。



2 韓国の民主主義


隣の韓国では、弾劾、罷免を要求する国民の直接行動を契機に、朴大統領が罷免されました。こうした事態を韓国の民主主義の勝利だと評価する声が韓国内外にもありますが、はたしてそうなのか。


朴大統領の弾劾、罷免の理由は多数列記されているようですが、もっとも驚愕させられたのは、朴・崔側に渡された企業からからの贈賄金額の巨額さです。判明しているだけでも、企業連合による献金が774億ウォン(77億円)!!!日本と韓国の貨幣価値の違いを踏まえれば、日本では実質的には100億円前後ぐらいの額になるのではないかと思われます。日本でも政治家や官僚絡みの贈収賄事件は跡を絶ちませんが、100億円はもとより、額面の77億円にしても、日本ではありえない金額です。しかも驚くべきことには、サムスンはこれとは別に、実際に支払い済みの298億ウォン(30億円)を含めて430億ウォン(43億円)の拠出を約束していました。我々日本人からすると、サムスン一社が支払い済みの30億円だけでも、我々日本人からすると、一人の政治家の絡む贈収賄事件の金額としては、この世ではありえぬほどの天文学的な巨額さです。これほど超巨額な贈収賄は、日本ではもとより、おそらく世界でも他に例はないはずです。韓国の経済規模、国家予算の規模からすると、韓国内におけるこの贈収賄金額の巨大さは、日本で考える規模とは比較にならないほどに超巨額で、超異常な額であると断定いたします。



サムスン側提供の43億円は約束分も含めた額で、拠出済み額は30億円らしいですが、この収賄事件の実態を検証するには、サムスン側が朴氏に総額で43億円を支払うことを前提にしてなされたという、この事実を基にすべきであることは言うまでもありません。偶然なのかどうか、本号公開後の西日本新聞では、それまでは、サムスンの拠出額は「約束分も含めて430億ウォン(43億円)」と表記していたものを、「サムスンが実際に支払った298億円(30億円)」のみを表記する方針に変更していますので、あきれ果てながら追記をしました。(4/1)



しかしなぜか、この超巨額な金額に着目した論評は未だ目にしたことはありません。ではなぜこの金額が問題なのかといえば、この巨額な金額は、サムスンのような大企業も含めて、本来ならば民間企業では拠出不能なほどの超巨額な金額であるということです。拠出不能の理由としては、韓国の企業会計が法的透明性と公正さの枠内で実行されているならば、(1)政治家への献金も会計資料として公開され、株主の可否の対象になるはずである。(2)仮に巨額の献金が株主等関係者の了解を得たとしたならば、当然のことながら、その巨額な献金に見合う利益(見返り)のあることが前提となっていることは言うまでもない。(3)この超巨額な献金を民間企業に求めて実行させるには、それに見合うだけの見返りを与える必要があるが、一民間人には実行不可能であることは言うまでもない。政治家でも、ただの国会議員では不可能です。絶大な権力を持つ大統領にして初めて可能な巨大さです。


日本の企業会計は不透明だと欧米からしばしば批判されますが、韓国の企業会計の不透明さは日本とは異次元のものだというべきでしょう。企業側から、天文学的規模の超巨額な金額が大統領とその関係者に渡っているからです。正常な企業活動からするならば、この献金額はありえぬ巨額さであり、法的ルールなしに、企業と政治が完全に密着していることを物語っています。企業家も企業を私物化し、大統領も政治を私物化しているということです。政治の私物化は李朝時代からつづく韓国の伝統的な病です。政治の私物化は、おそらく李朝以前からつづいると思われます。企業は日本の植民地化(日韓併合)で初めて誕生しましたが、李朝では、日韓併合までは李王家の財布と李朝政府の財布が同じであったという。日韓併合に踏み切った明治政府は、李朝では政府の会計も王家の会計も同じで分離されていないことに驚き、すぐさま李朝会計の公私の分離を実行したという。


しかし日本の介入、教化によって形式的には公私の分離はできても、韓国人の体に染みついている公の私物化思想は簡単には払拭されず、今なお韓国人の宿痾(シュクア・・・治癒不能な病気)となっています。それが企業や政治の私物化を生みつづけ、朴大統領を含む、歴代大統領とその一族による贈収賄事件の連鎖の源となっています。この宿痾を断ち切るためには、朴大統領の罷免に至った罪を徹底的に裁くと同時に、企業、政治の私物化の淵源となっている韓国の歴史の暗部を隠蔽せず、美化せずに直視することです。それ以外に韓国社会の再生はありえぬはずです。

  

朴大統領の罷免決定をめぐる騒乱では、3人の死者が出ました。いずれも朴支持者で、抗議のために警察車輌を奪ったことで発生した事故によるものでした。しかし当時まだ大統領官邸に居住していた朴氏は、この事故に対しても、3人の死者に対しても一言も言葉は発していません。さらにその二日後に官邸を退去する際にも、朴氏は自分の無実はいずれ明らかになるだろうという文書によるコメントを発表しただけで、3人の犠牲者に対しては一言も触れることさえしていません。それどころか、支持者に向かって笑顔で手をふる写真が公開されていました。朴氏は、自分のために、3人もの犠牲者が出たことに対しては、申し訳ないという気持ちはかけらも持ち合わせていないようです。3人の犠牲者などなかったかのような朴氏のふるまいは、わたしにはまったく理解不能です。この朴氏の冷酷さに違和感すら感じていならしい韓国民はさらに理解不能です。韓国では、権力者のためには民衆が命を落とすことは当然だと考えられているとしか思われません。


この感想を補強するような事態が続きました。朴氏が官邸から出た後、やっとセォル号の引き上げが実施されました。日本では東日本の犠牲者捜索は6年経っても続けられていますが、韓国では3年も放置されてきました。しかも作業開始1日で、船は引き上げられました。その気になればすぐにも引き上げられたのに、なぜ放置し続けたのか。事故後すぐにも引き上げたならば、犠牲者の遺体も見つけることができたでしょうし、船の内外の状況から事故の原因を解明することができたはずですが、朴大統領には犠牲者の救出も真の事故原因の解明もする気はなかったということです。3年も放置してきたことがそれを証明しています。


ではなぜ突如、セォル号の引き上げが実施されたのか。実はこの引き揚げ作業は中国企業が請け負ったという。中国企業がこの引き揚げ作業を請け負ったことは、繰り返し関連記事を掲載していた西日本新聞には一言も書かれていませんが、産経新聞のweb版に出ていました。巨大なタンカーならともかく、韓国には旅客船すら自前で引き上げる能力はないのかと驚きましたが、入札でもっとも安かったので中国企業に依頼したとのこと。引き上げ時期からするならば、THAAD配備以降、中国で始まった激しい韓国パッシングを少しでもやわらげたいとの思惑から実施したのではないか。加えて、政権与党への国民の非難も少しはやわらげたいとの思いと、セォル号引き上げという劇的なパフォーマンスで朴氏に集中している国内外の関心をそらしたいとの思惑もあったものと思われます。いずれにせよ朴氏には、犠牲者を悼む気持ちは微塵、毛頭ないということです。今回の3人の犠牲者に対しても全く同様です。


朴氏をめぐる一連の事態は、韓国では国民は政治の目的ではなく、単なる手段にしかすぎないということをまざまざと見せつけてくれましたが、これも韓国では古代から続く歴史的伝統です。朴氏も自分は何一つ悪いことをしていないと心底思っているはずです。韓国では、権力者が自らの利益を最大化するために動くことは悪ではなく、当然であるというメンタルティが連綿と受け継がれてきているからです。このメンタルティにメスを入れ、剔出(テキシュツ)、抉り出すことなしには、韓国の民主主義は実質を持つことはないのではないか。「民主主義の再起動」以前の状態にあるというのが、韓国の偽らざる現実ではないかと思います。



3 東芝と日本の民主主義


そういう日本はどうなのかという反問がきそうですが、日本の民主主義の再起動は、戦前の反動から生まれた日本人による日本人に対する反日洗脳装置との闘いなしには達成不可能だと思います。この反日洗脳装置とは偏向報道を旨とするマスコミが代表格ですが、韓国や中国の執拗な反日工作と、それを放置しつづけてきた日本の歴代政権と外務省の無能さの結果、今や世界大にまで拡大しています。世界大化した反日洗脳にさらされ続けると、当然のことながら、日本人としてのプライドは持てなくなりますが、日本人が自らを卑下することが美徳であるかのような状況下では、日本国民にとっての民主主義は機能しません。


目下、東芝が子会社であるアメリカのWH社の異常なまでの不良債権化を受けて苦境に立たされていますが、この問題の背後にも日本人としてのプライド喪失が潜んでいます。もちろんプライドの問題以前に、こんな不良債権の塊のような会社を買収したばかりか、後々までも親会社として責任を負わざるをえないような条件付きの契約までしたという、東芝経営陣の愚かな無能さがまず批判されるべきですが、プライド問題はその責任を厳しく問うた上でのことであることをお断りしておきます。


WH社は東芝の子会社とは名ばかりで、親会社である東芝を無視して、勝手放題をしていたという。しかも東芝本社からはその筋では有名であったらしい日本人幹部がWH社のトップに送り込まれていたにもかかわらず、その日本人社長も、東芝本社もWH社のアメリカ人幹部の勝手放題を止めることも叱責することすらしなかった、できなかったという。これは、経済専門誌のWEB版にアメリカ現地で取材した記者のレポートとして公開されていたものですが、一般紙には報道されていないはずです。この無残さは、日本人としてのプライド喪失の無残さそのものを象徴的に物語っています。アメリカ人は巨額な借金だけを日本企業に押し付けて平然としています。アメリカ人は、日本人や日本に対しては、それがまかりとおると考えているわけですが、日本人はそういう屈辱に対しても憤ることを忘れています。少なくとも東芝の経営陣は、アメリカ人からそこまで見下されていたということですが、東芝はそれを屈辱とは感じていなかったのではないか。日本のマスコミでも、WH社のアメリカ人経営者の無能ぶり、無責任ぶりを批判したところは皆無。それどころか、その事実を指摘した記事、報道も皆無です。



しかし東芝だけではありません。原発を扱うWH社は安全保障上救済すべきだという声がアメリカから聞こえてくると、政府の意向を受けたものかは不明ながら、経済革新機構がWH社の救済に動き出そうとしていました。が、結局はアメリカで民事再生を申請することになったようです。アメリカ人の無能で無責任な経営者が作った巨額借金は、アメリカ人幹部に責任をとらせるべきではないか。こんなアメリカ企業に騙された東芝本社の経営陣も自らの無能さを恥じるべきです。無能さの塊のようなWH社の再生は、無能なアメリカ人幹部の責任を明らかにすることなしには全く無意味であり、また再生も不可能だと思われますが、こんな企業には、日本政府は、東芝を介した形であれ、一銭の支援もすべきではありません。


東芝の事件は、日本人が日本人としての、というよりも人間としてのプライドを完全に喪失していることを如実に示したものですが、この無残なプライド喪失状態を放置したままでは、民主主義の再起動は全く無意味であり、不可能です。日本の民主主義の再起動には、日本人が日本人を貶める反日洗脳装置との闘いなしには達成不可能だというゆえんです。この闘いは、言論の完全なる自由が保証された中でしかなしえないことも、あらためて強調しておきたい。言論も自由な競争の中でこそ、言論の質も磨かれるのではないかと思います。


posted by 久本福子 at 02:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会時評

2017年03月22日

韓国の30万本の桜


桜の季節ももう間近。観光案内の広告にも桜花爛漫の写真が踊ります。そうした広告の中でもひときわ目を引くのが、韓国の30万本もの桜花爛漫を誇る観光写真です。韓国観光公社による広告のみならず、JTBなどの日本の旅行会社も、30万本の桜花を目玉に韓国旅行を大々的に宣伝しています。しかし韓国観光公社はもとより日本の旅行業者も、これら30万本もの韓国の桜は、全て日本政府によって植樹されたものであることについては全く触れていません。


日本の植民地化が始まるまでは、朝鮮半島(韓国・北朝鮮)の山々ははげ山だらけ。野山の木々を燃料にするために、乱伐し尽したからです。禿げ山は美観を損ねるばかりか、治水にも重大な悪影響を及ぼします。日本政府は日韓併合前から、李朝政府に禿げ山への植林を勧めていましたが、李朝政府は禿げ山を放置したまま、一本の植林もしようとはしませんでした。朝鮮半島の緑化は、日本の植民地事業の一環として実施されたもので、日本の植民地になっていなければ、韓国の30万本の桜並木は存在しなかったのはもとより、朝鮮半島は今も禿げ山だらけのままであったことは言うまでもありません。


 水間政憲著『朝日新聞が報道した日韓併合の真実』(徳間書店)には、日本政府が巨額を投入して朝鮮半島の緑化を推進していたことが、新聞記事も駆使しながら紹介されていますが、以下に本書より、一部引用します。


(インフラ整備)と並行して農地改革も実施され、その一環として「植林」と「治水」が一体化して行われた。(略)朝鮮総督府の植林政策は計画的で、「農業指導員」や「山監」などを配置し、緑化運動を徹底したことで、ほとんどの禿げ山は緑が覆い尽くす森林に生まれ変わった。
 「禿げ山」が再生すると、ここから日本人の本領が発揮されることになる。まず山々から取りかかった緑化推進はやがて市街にも及び、並木道や公園の整備を始めることになる。そのような公園設備事業は私的な庭園と違って、それまでの朝鮮半島にはなかった。自然を文化に造り変える近代文明の見本になっていた(引用者注:「日本人の文化の粋は、西洋人が江戸時代に日本を訪れ書き残した紀行文に散見するように、『人間と自然の調和』に代表されると言っていい。」という一文を受けたもの)。現在、朝鮮半島で見ることのできる立派な「梅の名所」や「桜並木」「プラタナス並木」「アカシヤ並木」は、朝鮮総督府の植林政策によって植えられたものなのだ。(水間政憲著『朝日新聞が報道した日韓併合の真実』)

 日本には一カ所で30万本もの桜が咲く場所はありません。ではなぜ、韓国には30万本もの桜を誇る名所が存在するのでしょうか。言うまでもなく、30万本もの桜を植樹することのできるほどの超異常な規模の禿げ山、禿げ地が広がっていたからです。30万本の桜は、日本の植民地化以前の朝鮮半島の国土の荒れ方が、尋常ならざる異常なものであったことを象徴するものです。韓国人は日本政府(朝鮮総督府)によって桜や緑の木々が植樹されるまでは、一帯には樹木は一本もなかったという事実を想起すべきです。30万本にはならずとも、韓国には他にもいくつも桜の名所が存在しますが、それらは全て日本政府(朝鮮総督府)によって植樹されたものです。桜は目立ちますが、緑の葉を繁らせる様々な緑樹も日本政府によって植樹されたであり、日本の植民地時代の貴重な遺産です。韓国政府と韓国民はこの事実をしかと認識し、欧米とはまったく異なった日本の植民地政策に深く感謝すべきではありませんか。

韓国では官民こぞってこの事実を隠蔽しているばかりか、事実を歪曲してまで延々と日本の植民地批判を繰り返しつつ、日本人を韓国での桜見物旅行に誘おうとは、余りにも人倫にもとる行為ではありませんか。韓国人の図々しさにはあきれ果てて、開いた口がふさがらない。


日韓併合は、韓国を日本並みの近代国家に改造するための、反欧米流の日本固有の植民地政策として実施されたものでした。この事実が韓国ではもとより、日本国内でも隠蔽されてきたことが、今なお続く日韓対立の根本原因です。大学の予算が削られ続ける中、日本を代表する大学に次々と韓国研究所や韓国に特化した研究機関が作られるという怪奇現象が発生し続けているにもかかわらず、いずれの韓国研究所でも、日本の植民地政策を事実を通して検証するという研究は全く行われていません。いったい何のための、韓国研究所なのか。


京大の朝鮮近代史が専門の水野直樹教授のHPには、戦前の日朝関連の新聞報道をデータベース化した、「戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索 1868−1945」と題するデータが公開されています。検索すると、在日朝鮮人関連の記事のみならず、朝鮮半島から渡ってくる密航関連記事も734件出てきます。ご覧のとおり、取り締まっても取り締まっても、半島からの密航は絶えません。密航者の目的地は炭坑が圧倒的に多いですが、中には売春目的者もあり。記事になったのは密航が露見したケースだけですので、密航者全体のごく一部ですが、これらの記事だけでも、韓国が非難しつづける日本政府による強制連行がいかに事実に反したものであるかは明白です。他の在日朝鮮人関連の記事を見ても、朝鮮人による車の運転事故(戦前に車の運転!)や殺人事件報道が目につきますが、選挙に出たり、投票したりと選挙権まで行使しているのには驚きました。


これらの記事を虚心に眺めれば、韓国が主張しつづける日本の植民地批判は全く事実に反した捏造であることが明白となりますが、なぜか京大の学者たちも含めて日本の学者たちも、その核心部分には決して触れようとはしません。それどころか、中には韓国政府の旗振り役を喜々として務める専門家も少なくはありません。しかし日韓の歴史認識問題は、政治家が克服することは100%不可能です。日韓双方の専門家によって、事実を基に検証すること以外にこの問題の解決策はありえません。研究費が削減され続ける中で、特権的に増殖し続けている韓国研究所ないしは類似の研究機関で、この問題に着手せずにいったいどこが研究するのでしょうか。何のための韓国研究所、研究機関なのでしょうか。


日本の植民地政策を検証するに当たっては、植民地化以前の李朝時代の政治状況、民生の有様も具体的に検証すべきです。李朝時代の韓国民は支配層からは収奪される一方の悲惨な状況に置かれていたことは、世界史ではよく知られた事実ですが、韓国政府はこの世界史的事実すらも改竄、捏造しようと企図してきました。李朝時代は農業以外に産業はなく、商品経済、貨幣経済すら存在しない未開社会であったことなど、韓国民は知らないのではないか。当然のことながら国民の99%以上は文盲。日本は江戸時代においてすでに、一般庶民を相手にした出版産業が隆盛をきわめていたことと比較するならば、李朝時代の韓国民の悲惨な状況はより分かりやすいと思います。日韓併合によって、韓国の未開社会は劇的に変わりました。


また日本では、何百年、中には千数百年もの長い歳月を継いで、全国津々浦々で祭りが開かれてきましたが、韓国にはこうした祭りは皆無です。日本の祭りは、神々に自然の恵みを願い、その恵みに対して神々に感謝するという神事が基本にありますが、祭りは同時に、当時の一般民衆にとっては最良の慰安ともなっていたはずです。祭りは日常にはない非日常的な時空を出現させますが、この非日常的な時空は、祭りに参加する民衆にとっては、日常と地続きでありながら、しばし日常から飛翔した自由をももたらします。これは今も昔も変わらぬ祭りの効用だと思いますが、慰安の乏しい昔の人々にとっては、各地で季節ごとに行われる祭りや、節季行事(正月、桃の節句、端午の節句等々)は、最良の慰安をもたらす行事であったと思われます。そしてこれらの祭りや節季行事は、庶民であっても、非日常的な自由と同時にいくばくかの非日常的な奢侈も許されます。もちろん支配者の許可を得るという意味ではなく、庶民はこの非日常的な奢侈のために日々の暮らしでは節約に励むということです。


しかし韓国には祭りはおろか節季行事すら非常に乏しい。祭りの初源は神事に端を発しているというのは、おそらく世界共通ではないかと思われますが、韓国にはその初源となる神がそもそも存在しなかったということが、祭りが存在しない第一の理由だと思われます。ごく素朴な、自然の恵みに感謝するという収穫祭は世界中至るところで行われていますが、その大半は神への感謝が基本にあるものと思われます。しかし韓国には、この素朴な収穫祭すらありません。韓国人は、自然の恵みに対してすら感謝することを知らないのかとも思われますが、まず基本は祈る対象となる神が存在しないことに加え、韓国の一般民衆は、祭りを行うことのできる程度の自由も経済的余裕も支配層から与えられなかったということです。韓国ほど祭り的行事の乏しい国、民族は世界的に見ても非常にまれだと思われます。この事実は、韓国人が歴史的にいかに支配層に収奪され、抑圧されつづけてきたかを物語っています。


しかし歴代の韓国政府は、日本の植民地時代については、事実を完全に隠蔽したまま暗黒史として捏造する一方、自国の民衆収奪の暗黒史は、隠蔽して美化する捏造を平然と行っています。これらの真逆の歴史捏造は、ひとえに日本の植民地支配の暗黒ぶりを捏造するための工作にほかなりません。目下日本政府は、釜山の慰安婦像設置問題で駐韓国大使を一時帰国させていますが、像の設置に抗議するのはもとより、慰安婦像の設置がなされる根本原因である、韓国政府による自国民への洗脳教育をこそ問題にすべきです。


昨年慰安婦問題を巡って、解決金として日本が10億円を拠出することで、永久決着を確認した日韓合意が成立しましたが、合意後も慰安婦像が韓国各地で次々と設置されつづけ、釜山総領事館前にまで設置されるに至りました。ここにまで至ると、さすがの安倍政権も黙認できなくなったということですが、捏造歴史による反日教育を放置したままでは、同様の事態は続くでしょう。合意を推進した朴政権をも含めて、韓国政府は今後も反日教育を強化することはあっても、緩和することはないはずです。


朴大統領は、日韓合意を進める一方、国定化を決定した歴史教科書に従軍慰安婦問題の記述を従来の2倍にまで増やし、反日教育の強化を図っています。日本の一部メディアでも、従軍慰安婦問題の記述が強化された韓国の国定教科書見本が問題になっていますが(室谷克美 新・悪韓論)、教科書見本によって、最初にこの事実が明らかになったのは昨年の11月。野党は教科書の国定化には反対していますが、反日記述の強化にはおそらく賛成するはずです。あるいはさらに強化するかもしれません。韓国政府が延々と続ける捏造歴史による反日洗脳教育を放置したままでは、日韓関係を正常化することは、ほぼ不可能です。


しかし日本政府がこの事態を解決するのは、非常に困難です。観光ビザなし制度を利用して日本で不法就労している韓国人の売春婦や一般労働者を摘発して強制送還すべきだと指摘する識者もいますが、これは法治国家として当然なすべき措置であり、即刻実施すべきです。しかし、これだけでは韓国の反日洗脳が改まるとは思えません。日韓の歴史認識問題については、日韓双方の学者が具体的な資料を駆使して、事実を基にした検証を積み重ねて、その結果を資料とともに公開する以外にはないはずです。事実を基にした検証結果が資料ともども公開されるならば、日韓双方の国民はもとより、世界も納得するはずです。これまでは、具体的な資料を使った事実の検証そのものが、韓国側の拒否と日本側の自主規制で不可能となっていたわけですが、日本の大学に増殖中の韓国研究所には韓国人学者もいますので、この問題を検証するにはまたとない環境が生まれています。にもかかわらず、各大学はなぜ、日韓の歴史上最大のこの難問に取り組もうとはしないのでしょうか。


秀吉の朝鮮出兵も、日本軍による朝鮮侵略という短絡、皮相な韓流史観から脱却し、当時、世界各地で植民地化を強力に進めていたヨーロッパ(スペイン)の動きを視野に入れて検証するべきではないか。秀吉の朝鮮出兵はアジアにまで及んでいたスペインの植民地化政策と密接に関連した動きであることを示す文書がいくつも残されているにもかかわらず、韓国はもとより日本の学者もこの事実を隠蔽、無視しています。日本の歴史教科書にすらこの事実は記載されていません。恐るべき韓国拝跪ぶり!(参照:ねずさんのひとりごと「秀吉の朝鮮出兵」



戦後の独立後の日韓関係も日韓双方にとって研究すべき重要なテーマです。独立後の韓国に対しても、日本は膨大な支援を続けてきましたが、韓国ではこの事実も隠蔽されています。植民地時代の日本の甚大な貢献のみならず、戦後の韓国への甚大な支援の実態を明らかにすれば、日韓関係は飛躍的に改善するはずです。伝統的に自然への感謝のみならず、他者に感謝することを知らない韓国人といえども、日本の献身的な支援の事実を知ったならば、感謝はせずとも非難はできなくなるはずです。関連資料は隠蔽されているものも含めて多々存在しているにもかかわらず、なぜ各大学の韓国研究所は研究しないのでしょうか。


目下、従軍慰安婦問題合意で日本が拠出した10億円のみが喧伝されていますが、これまで日本が韓国に提供した莫大な支援総額からするならば、10億円は微々たる額だといえますが、この10億円が初めて全韓国民にも全開示された点が従来の支援との最大の違いです。日本の支援は韓国では徹底して隠蔽されてきました。


日本は平成9年から、韓国人被爆者にも日本人被爆者に準じる支援を延々と続けていますが、その事実は韓国内ではもとより、日本でもほとんど知られていません。隠蔽されてきました。厚労省HPによれば、日本政府は、在外被爆者支援に年9億円前後の予算を充てていますが、その約7割が韓国人被爆者支援に充当されています。韓国人被爆者には日本政府から韓国赤十字を介して、毎年6億円前後の支援金が支給されていることになります。被爆者にはいくらかの支援金は支給されているはずですが、被害者には日本が提供している総額は知らされていないはず。それどころか、毎月被爆者に支払われている支援金が日本政府から出されたものだということすらも、隠蔽されている可能性もあるかもしれません。


ところで、在外被爆者支援額がなぜか平成26年は約14億円、27年度には約20億円と倍に増えていますが、韓国人被爆者への支給額は2倍どころか、一銭も増えていないはず。これは断定します。日本からの支援金が倍化されたのは、韓国で原爆記念館建設費用に充当するためであったはず。記念館建設と日本の支援金増額の時期が一致しています。が、日本からの被爆者支援金増額も、当然のことながら隠蔽されたままです。


韓国では、日本の被害者とされる人々は、韓国政府が日本からの支援金を得るための手段として利用されています。韓国の歴代政権は、自国民に対して、反日教育を通して日本に対する被害者意識を徹底して叩き込み、その自国民の被害者意識を利用して日本政府から延々と支援金をむしり取ることを政権の重要な政策の柱にしてきました。しかも日本から巻き上げた支援や支援金は当の被害者には知らさず、渡さず、国民にも隠したまま。今回の10億円のみが唯一公開され、一部が被害者にも手渡された例外中の例外です。韓国政府がなぜ自国民に対して、日本への被害者意識を叩き込むのか、その理由は明らかです。浅ましすぎます。同じ人間だとは思えません。現在の韓国では、李朝時代とは違った形で、支配層による民衆収奪が行われているともいえそうです。韓国では反日活動が、祭りの代替物と化していますが、その活動が政権にとっては、外交上の最大の武器となっているわけです。


慶州にある30万本の桜の名所には、朝鮮に侵攻した秀吉軍と戦い、撃退したとされている、韓国一の英雄李瞬臣像が設置されています。一方、桜は植民地時代に日本政府によって植樹されたものであるという事実は完全に隠蔽されています。韓国人は感謝することを知らないどころではありません。韓国では桜の名所ですら、侵略者日本への敵愾心をあおる教育の場と化しているわけです。しかもこの場に、官民挙げて日本人観光客を呼び込もうとさえしています。韓国人は感謝することを知らないどころではありません。恥を知らない民族です。


 この韓国になぜ日本の大学までもが盲目的に拝跪するのか。親韓国、臣韓国とならなければ国の予算がもらえないからなのか。民主党の野田政権時には、山中伸弥教授をはじめとした先端的研究への予算が削られる中、韓国の大学との交流事業に特化した予算4000万円を九大に支給しました。この制度が今も続いているのかどうか。あるいは他大学にまで拡大しているのでしょうか。韓国研究所(立命館大学ではコリア研究所)の増殖は予算なしにはありえませんが、事実を無視した非学問的な韓国拝跪的「研究」しかなしえないこれら研究所の存在意義を、各大学と文科省は国民にとくと説明すべきです。


なお、東北大学の安彦兼次客員教授が開発した、世界初の空気中でも錆びない99,99%以上の高純度の純鉄研究への予算がカットされたのも民主党時代です。予算が断たれた純鉄は教授ともども長崎市まで流浪の旅をしてきましたが、純鉄も教授もその後の消息は不明。


広島大学では過去の新聞記事を精査して、韓国・朝鮮人の被爆実態を検証する研究成果を発表しています。これも貴重な研究だとは思いますが、戦前の日本の日韓併合の実態については、なぜ新聞資料を駆使して検証しないのでしょうか。日韓に関する、学界をも支配し尽くしているこの異常なまでの韓国拝跪的な偏波な関係は、大学の自主性に任せていたのでは解消されないでしょう。というよりも、こういう事態は、歴代政権によって政策として実現されたものだというべきでしょう。その発端は、2000年前後に始まった、国公立大学の国文科や日本史学科などを廃止した大学改革にあります。自国の言語や歴史を学ぶ学科を廃止して、韓国に特化した研究所や研究部門の新設を推進する国は、世界広しといえども日本以外にはありません。日本の文化は韓国が作ったという妄説が日本中を覆いつくすのも当然です。


そしてついに、大学のみならず、小学校でも韓国人教師が韓流日本史を教える事態まで生まれているという。藤岡信勝氏のFacebookにこの驚くべき斎藤武夫氏の報告が紹介されています。信じられない衝撃的な事態です。なぜこういう異常なことが許されているのかは、Facebookの報告だけでは不明ですが(斎藤氏のFBには見当たりません。)、日本の大学に韓国人学者が急増していることからすれば、小中高にもやがて韓国人教師が進出する事態が出現するであろうことは十分に想定されることではあります。歴代政権が進めてきた教育にまで及ぶ規制緩和の産物だと思われますが、日本政府はこうした事態を把握しているのでしょうか。


また杉山満丸氏のFacebookで澤井直明氏という方の投稿紹介で知ったのですが、藤岡信勝氏(Facebook)によれば、文科省は聖徳太子の名前を抹殺する学習指導要領の改訂を予定しているそうです。藤岡氏は日本精神を解体するものだと厳しく批判されていますが、産経新聞Web 2017/2/27新学習指導要領案 聖徳太子が消え、「厩戸王(うまやどのおう)」と呼ぼう これには首をひねるでも懸念が表明されています。


なぜ学習指導要領を改訂してまで、聖徳太子の名前を消さなければならないのか。寒気を覚えますが、こうした動きにも韓国拝跪的学会の潮流が大きく影響しています。聖徳太子の偉業は、実は渡来人(韓国人の祖先とされている人々)によってなされたものだとの珍説が、NHKでも堂々と放送されていることからも、聖徳太子の名前の抹消は、日本の古代史の簒奪をも狙う、つまりは日本そのものの乗っ取りを狙う、韓流史観派の策謀にほかなりません。文科省が韓国人ないしはそのシンパにハイジャックされていることは、朝鮮通信使が日本に最新の文化を届けてくれたという韓国人のトンデモ説を、そのまま文科省として受け入れていることからも明らかです。


意見投稿は、上記ページ最下段の「意見提出フォーム」からです。反対意見を投稿しましょう。期限は3月15日まで。

posted by 久本福子 at 10:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会時評